できないことが多いから

 殊の外暑かった今年の夏でしたが、ようやく朝晩はしのぎやすくなってきました。夜、食後に歩いていると、秋の虫の声がにぎやかです。9月も残りわずかになりました。秋本番、実り多いものにと願っています。
 さて、今日の巻頭言は、「できないことが多いから」です。長年、活動を続けることができたのは、本当にたくさんの人に助けられ、支えられてきたからだと、心から思います。「スタタリング・ナウ」2007.6.20 NO.154 より紹介します。

  できないことが多いから
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「私は、長年、日本語ではどもり続けてきましたが、残念ながら英語ではどもることができません。私の英語におけるこのハンディキャップを長年サポートし続けて下さったのが進士和恵さんです。
 1986年、第一回の世界大会を私が京都で開催できたのも、海外との交渉の準備段階から翻訳・通訳を彼女が一手に引き受けて下さったからです。その後、国際吃音連盟の設立に私が貢献できたのも、今回の基調講演ができるのも、国際的な活動を全て支えて下さっている進士和恵さんのおかげです。改めて心からの敬意と感謝の意を表すと共に、今回も進士さん、よろしくお願いします」
 舞台の中央で、マイクなしで大きな声で日本語で挨拶をして、演台の進士さんの横に立った。私の吃音経験、吃音についての私の思想が、ネイティブよりも正確な、流暢な英語で聞こえてくる。それを聞きながら、私は42年間の吃音にかかわる活動を振り返っていた。
 私は、どうして吃音に悩み始め、どう解放されていったかを、大学や言語聴覚士の専門学校などで話すとき、心理学者E・H・エリクソンのライフサイクル論をよく使う。見事に整理がつき、今後の展望も提案することができるからだ。
 小学校の2年生の秋に、学芸会でセリフのある役から外されたことで、私は吃音に強い劣等感を持ち、悩み始めた。劣等感が日増しに大きくなり、学童期の社会・心理的な発達課題であり、対の概念である「勤勉性」が失われていった。勉強はほとんどしなくなり、みんなと一緒に何かに勤しむということがなくなった。勉強をしない、遊ばない、楽しくない学童期・思春期を生きた。
 このように、吃音に悩み、勤勉性の全くない学童期・思春期を送った21歳までの話をして、その後、どもる人のセルフヘルプグループを作ったり、第一回の世界大会を開催し、それが3年ごとに開かれて、今年は第8回大会がクロアチアで開かれ、基調講演をすることになっていると話をすると、多くの学生が怪訝な顔をする。勉強を全くしなかった人間がどうして英語で講演ができるのかと疑問に思うのだろう。
 私は英語に限らず、苦手にしていることはたくさんある。おっちょこちょいで、うっかりミスも多いし、物もよくなくす。頼りない欠点だらけの弱い人間だ。ただ、吃音についての一途な「夢と志」だけは常に持ち続けてきた。その私が42年も、吃音に関して第一線で活動を続けてこれたのは、「できないことが多く、欠点だらけの人間だから」なのではないかと思うことがある。
 東京で活動している時は、常に私の周りには大勢の仲間がいて支えてくれ、力いっぱいの活動ができた。吃音について学ぶために来た大阪教育大学でもその後周りに多くの人が集まり、全国的な活動の拠点が大阪に移った。そして今の活動だ。
 17年も続いている吃音親子サマーキャンプにしても、私はキャンプ場の用心棒のようでほとんど何もしていない。何もしなくてもキャンプは立派に進行していく。ただ、何かが起こったときにはその責任はとらなければと考えているだけだ。私が頼りないから、何か手助けをと、手弁当で多くの人たちが毎年スタッフとして集まって下さる。私の活動をサポートして下さるセルフヘルプグループができているようだと思うことすらある。
 私の学童期・思春期のように全ての勤勉性をなくしてしまうほどの劣等感は問題だが、できないこと、苦手なこと、劣等感をもつことは悪いことではないのではないかと思う。私が多くのことができ、有能だったら、今のような活動ができているかどうかは疑わしい。英語ができないおかげで、進士和恵さんとも心の通うつきあいができ、進士さんを通して多くのことを学び、多くの人との出会いがあった。自分ができないことは、できないと認めて、誰かにお願いする。そのことで広がる人生もあるのだ。英語をあきらめたおかげで、この5月に私の10冊目の日本語の本『話すことが苦手な人のアサーション~どもる人とのワークショップの記録』が金子書房より出版された。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/09/27

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