いのちが激しく動く~竹内敏晴さんのレッスンをめぐって~

 竹内敏晴さんの「からだとことばのレッスン」は、東京と名古屋、大阪で定期的に開催されていました。それぞれ運営は独立していましたが、大阪のレッスンは、僕たち日本吃音臨床研究会が主催していました。竹内さんがお亡くなりになるまで、毎月第2土日、應典院でレッスンは続きました。大阪のレッスンには、僕たちが事務局をしていたこともあって、どもる人の参加が多くありました。その人たちが集まって、竹内レッスンをめぐって話し合った、2006年4月の座談会を紹介します。(「スタタリング・ナウ」2007.5.21 NO.153 より)

  いのちが激しく動く
 
伊藤 竹内さんの、『ことばが壁かれるとき』を読み、レッスンを受けたいとずっと思っていました。
 自分たちのことばにしっかり向き合って、変えることができるものならば変えたいと、竹内さんに来ていただいて20人ぐらいでレッスンを受けたのがすごく面白かった。民間吃音矯正所の発声練習や呼吸練習と全然違う、正反対に近いことを聞いたりして、目が開かれる思いがしたんです。それで、年に一、二度、大阪に来てもらうようになりました。
 どもる人たちも基本的に声を出したいが、声を出す喜びや楽しさをあまり経験していない。力いっぱい声を出すことが、からだとしてどんな感覚なのか知らなかった人たちにとって、心弾む体験でした。6年後、みんなから「芝居をやりたい」という声があがりました。レッスンのテキストとして使っていた「夕鶴」をぜひ舞台でやりたいと挑戦し、その北海道公演が大好評だった。大勢の前でやることの面白さを味わいました。練習と違って、本舞台のときはみんなうまかったです。

竹内 練習ではハラハラドキドキ、本舞台でも全然声が出ない。それが、あるところでバーッと声が出始めた。しゃべるのも、あのころは全然声が出なくて、えらい苦労しました。本舞台で、息が止まってしゃべれなくなって、シーンとしている中、ポツリと言う。そのたびにお客さんハーハー、向こうもみんな吃音の人だからね。

伊藤 あの経験が大きかったと思います。そして、大阪スタタリングプロジェクトの30周年を記念して、1998年に大阪市立総合医療センターのさくらホールで「夕鶴」や「木竜うるし」「トムソーヤー」他を上演しました。170人ほどの観客で、あれだけ来てくれると思わなかった。大成功でした。
 それからしばらくして、定期的な大阪の毎月レッスンが始まりました。どもる人たちに、もっと竹内さんに出会ってほしい、声のことをやってほしいという思いがあったんです。一つの方針としては、東京と名古屋でやっているレッスンとは違うものをという思いでした。東京は、表現にどんどん進んでいたけれど、大阪では、ことばの基本のことをずっとやる、くり返しでもいいから、ことばのことを丁寧にやるレッスンがほしい、それなら僕たち日本吃音臨床研究会が主催してやる意味があると思ったんです。2月の旗揚げのための講演会は大勢集まり、4月の第1回レッスンは50人集まりました。

竹内 話は飛ぶけど、去年、「十二人の怒れる男」をやろうという話が伊藤さんから出た。「そんなでっかい芝居をやるのは大変だよ、できないよ」と言ったんだけれど、この人は、恐れを知らない人で(笑)、やりたければやろう、なんだよな。大阪弁だの広島弁だのそれぞれの生まれ故郷のことばでアレンジして19人、そのうち吃音の人が半分以上出演したけれどみごとな舞台でした。

東野 竹内さんが初めて来て下さったとき、とても新鮮でした。普段は、大きな声を出すとか、からだを動かして歌を歌うとかの経験がありません。大きな声を出したのは、吃音矯正の発声練習の時だけで、効果がないからしなくなっていました。
 ところが竹内レッスンでは、治すとか治さないとかではなく、からだを動かすこと、声を出すことそのものがとても心地よかった。そして、自分では気づかなかった、意識してこなかったからだの緊張や堅さ、習慣になっている身構えを指摘してもらいました。これもとても新鮮でした。
 僕は、当時電話で悩んでいて、何とかしたいと竹内さんに質問したら、「話すときにちっともわたしの目を見ていない。それがあなたの問題ではないか」とおっしゃった。自分に意識が向いていて、相手に向かっていないのではないかとの指摘でした。確かに僕は相手の目を見て話していない。ちゃんと言えているか、どもらずに言えているかに意識が向いていて、相手に何かを伝えたいという姿勢が希薄だったことに気づいたんです。
 それで、電話は相手が見えないけれど、受話器の向こうに相手がいると思って、とにかく何か伝えてみようと意識しました。それから電話をかけることがずいぶん楽になったんです。
 また、吃音矯正所ではまず、息を下腹部にたっぷり吸わないとだめだと言われましたが、竹内さんからは、反対に吸ってはいけない、息は吐くものだ、息を吐かないとことばは出ないと言われました。吐いて吐いたら、勝手に入ってくる。これは、僕がいつも吃音教室でどもる人たちに伝えていることです。

赤松 私は会社に入って20年。電話をかけたり受けたりは、どうにかクリアしてきたけれど、人にかかってきた電話をとって取り次ぐときに声が出ない。「誰々さん、電話です」が言えない。その話をしたら、「指を指して、誰々と言ってみたらどうか」とアドバイスを受けました。随伴運動になったかもしれないけれど、だんだん大きく指を指さなくても、小さく軽く指を出すだけで済むようになりました。以前とは格段に変わり、そのうち、指さしをしなくてもよくなったんです。自分の名前が出にくかったけど、一音一音をはっきり言うよう練習することで一語一語、しゃべり方がはっきりしてきました。気がせくと、早くなるが、気をつけて一語一語きっちり出すようにすると、完全に黙ってしまうことはなくなりました。でも、これはどもりが軽くなったというわけではないです。
 小学校のときから、芝居には一切縁がありませんでした。「夕鶴」では、緊張感はすごかったけれど、「できた!終わった!」という解放感とうれしさを感じました。芝居の中ではどもらない。不安がないから、どもりそうだという気も起こらない。一語一語をきちんと出してしゃべると、大丈夫なんだという気はしている。それを普段の生活の中で全て生かせるわけには、なかなかいかないんですけど。

竹内 「誰々さーん」と指さして呼ぶというのは、つまり、ことばとは声を出すことじゃなくて、働きかけること、アクションだということです。「夕鶴」で与ひょうをやった伊藤照良さんが、眠っているのに子どもたちがワイワイやっているので、「えーい、うるさいのう」と言うんだけど、何回も「う、う、う……」となり、出てこない。あのとき、しゃべろうとしないで殴りとばすつもりでバンと腕をふりまわして怒鳴れと言った。そうしたら「うるさいのう」といっぺんに声が出た。からだ全体が動いたときにポーンと声が出るのです。

川崎 僕は、今年の公開レッスンの「十二人の怒れる男」の芝居の中でどもる不安がありました。特に、最後のシーンの「生かしてやろうよ」というセリフ。僕は母音がものすごい苦手なんです。でも、竹内さんに、「息でしゃべれ」と言われ、不安がなくなりました。息せききって、とまでは言わないけれど、ハァハァ言いながら言って、「生かしてやろうよ」というせりふを言いました。
 竹内さんに初めて出会ったのが、10年前の吃音ショートコース。それまでいろいろなワークショップには参加していたから、人のからだに触れることは慣れていたし、目を見て話すのもできていました。声もそこそこ出ていたつもりでした。ところが、僕が、後ろで目立たないように腕を組んでいたら竹内さんに「ちょっと出て来なさい」と言われ、ものすごく嫌だったんだけど(笑)。竹内さんは、「その手は何ですか。自分で自分を縛っている」とおっしゃった。
 結局、意識は自分に向いていたということです。声は大きく出しているが、意識が相手に向かわずに、自分がどもるかどもらないか、そればっかり考えていたんです。
 銀山寺でのレッスンで、竹内さんは、自分の肩を押させて働きかけながら声を出させるということを何度もしていました。あのとき、声の大きさじゃなくて、声がどこに向かっているかが大事だ、ということがわかりました。僕は障害を持った子ども相手の仕事を13年間していますが、以前は「聞いてくださーい」と大声で全体に呼びかけていました。それが無理して声を張り上げなくてもスッとみんなこっちを向いてくれるようになったんです。

伊藤 川崎さんと初めて会ったとき、初対面なのにベラベラベラベラ、ちっともどもらないで流暢に話す。どもらない人かと思いました。

竹内 大阪吃音教室に呼ばれた最初のレッスンでみんながしゃべるのを聞いて呆然としたんです。はじめは確かにつっかかるけれど、あとはベラベラ、いっぱいしゃべる。ことばがうまくしゃべれなくて、やっとことばをつむいでやってきた私などから見たら、こんなによくしゃべれる連中が、なにをオレにレッスンしてもらう必要があるのかと(笑)。「あなたがたは自分がどもる、うまくしゃべれないから何とかしたいと思っている。うまくしゃべれる人たちを標準にして、上ばっかり見ている。でも世の中にはもっとしゃべれない人もいる。そういう人たちを置き捨てて、よくしゃべれる人たちの仲間に入ろうとしてばかりいる。でも、もっとしゃべれない人がいるという見え方の中で考えてほしい」と言いました。

伊藤 そのことばは、僕もすごく印象に残っています。

竹内 そうですか。私は吃音を何とかしようとは全く考えていません。ただ、自分のことば、自分の表現を見つけてほしいと思うだけです。そういう意味でいうと、川崎さんも、うまくしゃべれているけれど、自分のことばはしゃべっていなかった。そういうことを言うのは、きつすぎるかなという思いがありました。スラスラしゃべれている。ちっとも真実なことばに聞こえないけれども、その人にしてみたら一所懸命しゃべっている。それを、「ほんまにそれがあなたのことばか」という言い方はできなかった。芝居をやるようになってから、だいぶずけずけ言うようになりましたけれどね。

新見 最初に竹内レッスンに出たとき、大勢の前で歌うとか、踊るとかが、すごく嫌でした。大阪のレッスンに参加するようになってからも、ずっと半信半疑で、吃音と何の関係があるのかと思っていました。ところが参加するうちに、だんだん自分のからだや声、人との接し方がわかってきた。今までは人と接することが嫌だったけれど、レッスンに参加して、人と接したり、人に対して動いたりする中で、心に動くものがあってはじめて声が出るということが分かりました。

竹内 初めて来てぴんとくるものがあったから通うようになった、というのなら話は分かりやすいんだけれども、そうじゃなくて、何だかよく分からないのに通う。あなたは一度も休んでいないですね。なぜですかね。今ふっと思い出すのは、新見さんが増田さんとはじめて出会いのレッスンをやったときのこと。あのとき二人の間で何かがスーッとつながった感じがしました。
 それから、「ああ、これだけ声が出た」ということが起こった。そのとき、たまたま出た声にすごいリアリティがあった。決定的でした。細々とした声がやっと出たというようなものじゃない、ボソッと出た声にびっくりするような力があった。それを何とか、もうちょっと引っ張りだしたいと思ってきました。それがこの間の舞台でのセリフ。「ようそんな口きいたな。今度そんなことぬかしたら、ただじゃ済まねえ!」このおとなしい新見さんが、「ただじゃ済まねえ!」。バーンと来て、びっくりした。もっとも、その前にいくつかのステップがあって、彼はそれを一つ一つ、確実に踏んできている。

伊藤 新見さん、レッスンに参加するようになって、日常生活で変わってきたことありますか。

新見 声が出ないときには、どうあがいても無理という諦めがつきました。もがけばもがくほど、声は出ないし、それはもうそれでいいと。

竹内 こういうふうに彼がしゃべっていることに一番びっくりします。前は、「うん」とか「わからん」とか「そうです」とかしか言わなかったからね。
 からだに声が出てくる状態が作られると、ことばは自分の中から出るようになるのかな…。こうしたらこうなる、みたいなプログラムがあってレッスンしているわけではないので、起こってきたことに私もびっくりします。

新見 あのとき、何か心突き動かされるものがありました。だから、ものすごい腹が立ったんです。それで一挙に声が出ました。

伊藤 これまでの生活の中で、突き動かされたりものすごく腹が立ったり悔しかったり悲しかったりってなかったのですか。

新見 あっても表現できなかったんです。押し殺していた、というか…少し自分で鈍感になっていたところはあります。どう感じ、どう受け止め、どう表現したらいいか分からなかったという感じです。

長尾 中学生の時にさくらホールでの芝居を経験し、「十二人の怒れる男」にも出演しました。自分の声に対して意識を持ち始めたのが高校生の頃。合唱部の先生から発声や合唱の技術を教えられ、興味を持ち、それをふだんしゃべる声にも応用できないかと考えました。
 自分がどんな発声をしているのか、どんな声なのか、を確かめてみたいと思いました。レッスンを実際に受けてみて、自分がこうしたいと思っているのと違うことをしていたらしいということが分かりました。
 高校の合唱クラブで腹式呼吸をずいぶん指導されたが、原理も何も教えてくれなくて、ただ単にこんなイメージでやれと…。できないときには先生が矯正してくれたんですが、どんな理屈で成り立っているのかが分からない。
 はじめに声を出すレッスンをやったとき、全然声が出ませんでした。なぜだろうといろいろ考えてみました。普通にしているときは腹式呼吸ができているのに、いざ声を出すときになるとできない。
 腹式呼吸と声を出すことが連結していないんです。腹式呼吸はするけれども、歌を歌う段になったら何もしていない(笑)。
 高校までは吃音をある程度コントロールしていた記憶があります。それなりに詰まらずにしゃべれていました。ところが、しゃべりに応用したいと思って腹式呼吸を習ったのに、腹式呼吸をやればやるほどコントロールできなくなったんです。

伊藤 お腹からいい声が出始めた途端に、吃音のコントロールが崩れたわけでしょう。吃音矯正では腹式呼吸がとても強調される。「腹式呼吸で息をたっぷり入れ、出すときに、息にことばを乗せろ」と。私もそれを試みたが、日常的には身につかなかった。ところが竹内レッスンでは息を吐くことだけが強調される。そうすると、全く意識しないでも腹式呼吸が自然とできるようになるんです。

竹内 意識しなくてもね。息というのはもともと肺の中に70%ぐらいまで入っているんだと思うんですよ。なのに腹式呼吸法では、残り30%を入れてから吐き出そうとするから、いっぱいにしたところで力が入っちゃう。でも、もともと肺の中に空気がある程度あるわけだから、これをギューッと絞って出す。出切っちゃったところで力をパッとゆるめればバーッと入ってきます。100%入る。出さないで、余りのところに一所懸命入れようとしても無理なんです。私は腹式呼吸ということばは使いません。横隔膜呼吸と言います。腹式呼吸というと、腹筋を使う呼吸になりがちです。
 今までレッスンを受けてよかったとか、こういう苦労もあったという話をしてくれたけれども、現在吃音を何とかしたいからレッスン受けているわけじゃないでしょう。結果として楽になったことがあっても、そこを強調すると、そのためにレッスンをやっているという話になりかねない。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/09/24

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