どもる人へのメッセージ 2

 昨日の続きです。正しい知識を得ること、具体的な取り組み、そして吃音は治らないかもしれないということ、どれも僕の考え方と似ています。
 また、「吃音を治す努力の否定」を提起したとき、その考えについてどう思うか、尋ねました。そのとき、いただいた手紙も、合わせて紹介します。

どもる人へのメッセージ 2
           ジョセフ・G・シーアン カリフォルニア大学教授(心理学)

正しい知識を得よう

 どもる人の中には、一度正しい方向に向かってスタートさせると、あとは自分自身の力で着実に進歩していく人もいます。一方、吃音の専門機関で、プログラムに従って長期に及ぶスピーチ・セラピーや心理治療が必要な人もいます。
 どもる人はどもるからといって、他人よりも適応性に乏しいというわけでもありません。最近、どもる人の人格構造を客観的、組織的に研究した報告があります。それによりますと、どもる人に典型的な人格パタンというものはないことがわかりました。また、どもる人とどもらない人の間にも、一貫した人格の差異は認められなかったのです。どもる人がどもるからといって生物学的に問題にしなければならないこととか、精神症的な傾向があるというわけではありません。
 おそらく、このような情報によって、吃音についての正しい知識を増やしていけば、どもる自分をそのままに認め、さらに楽な気持ちになって吃音を周りの人におおっぴらにすることができるようになるでしょう。

自分で問題に取り組もうとする人へ

 百五十万人ものどもる人がアメリカにはいるのですが、その人たちが利用できる専門機関はなかなかないようです。しかし、自家療法の是非は別にして、自分ひとりででも実行しなければならないことはたくさんあります。
 自分で使えそうなアイデアや手頃な教材を使ってやってみるのはよいと思います。運良く、専門家に指導が受けられれば、それなりの進歩が期待できます。個々のどもる人に応じて、順序だてられたプログラムが組めるからです。どもらない人と生活していく上で、性格や情緒的な問題をより多く持っている人であれば、専門家の指導を受けたほうが効果的です。
 とにかく、自分でするにせよ、専門家の指導を受けるにせよ、どもる人は誰でも、ある意味では自分で自分自身の問題に取り組むことになるわけです。したがって、どもる人はものごとを自分で処理し、ことばの問題に取り組む方法や手続きを知っていなければなりません。
 吃音の問題について、非現実的な意見が今まで多くのどもる人に与えられてきました。ここではそれよりも、どもる人がより健康的に生活するうえで役立ついくつかの基本的なアイデアをお知らせしましょう。
 次に挙げることから取りかかってみましょう。

①今度、店で買い物をしたり、電話をかけたりするときに、不安や恐怖を抱きながらもどれだけのことがやれるか試してみましょう。
②どもってことばが出なくなったら、落ち着いてその状態を受けとめましょう。そのとき聞き手の側もあわてずにその状態を受けとめられているかどうか観察してみましょう。
③あらゆる場面で、しばらくの間、意図的にどもってみてはどうでしょう。そうして、どもることへの恐れを抱いたり、言えずにいる状態を自分の姿として、受け入れることができるか試してみましょう。

 これらの方法は、従来の伝統的な治療法のように、どもることをごまかしたり、隠す方法ではありませんので、初めのうちはこれまで以上にどもっていると周りの人には、見られるかもしれません。けれども、吃音のために自分の人生を棒にふるつもりはないという意思表示だけは、皆にすることです。
 できるだけ実際的ないろいろな方法で、自分を表現してみましょう。自分と他人との間を、「吃音だから」ということでさえぎってはいけません。
 どもる人は、話さなければならない重要な場面に出合うとどもるかもしれないと恐れるあまり、きまってその場から逃げだしたものです。ちょうど誰も聞いている人がいない所で話しているときのように、重要な場面でもうまく行くかどうかやってみてください。
 つまり、どんな場面でも、吃音から逃避したり、吃音を隠そうと思わなくなるところまでいけるかやってみることです。したがって、どもるときには―どもらないということはありえないのですが―どもるにまかせればよいのです。完全にどもらずになめらかに話そうと思って時間を空費したり、欲求不満を自ら味わおうとしないことです。

吃音は治らないかもしれない

 成人になってもどもっている人は、ある意味では一生涯吃音で通さなければならない可能性があります。つまり、吃音は治らないかもしれないのです。しかし、消極的な人間のままでいる必要はないのです。どもりながらも、あまりハンディキャップを背負わないで生活をすることはできるのです。
 吃音の問題の解決にあたっては、年齢はあまり関係がありません。大切なのは、どもる人の精神的、情緒的成熟度です。私たちの記録に残っている成功例の中に、78才で当時もう引退していたバンドマスターの例があります。
 彼は死ぬまでに自分の吃音を克服しようと一大決心をし、実際、その目的を遂げました。

 要約すると、吃音の問題解決には、前に述べたように氷山の隠れた部分をどれだけ水面上に出すことができるかにつきます。
 聞き手に対して何も隠すことはないというところまで到達できれば、吃音の問題はもうほとんど解決したといっても言い過ぎではありません。
 どもる人が勇気をもって公然と問題にあたれば、どもりながらも、自分なりに吃音の問題から開放されたといえるでしょう。(了)

 1977年、ジョセフ・G・シーアン教授からの手紙
  ~「治す努力の否定」についてどう思うか~

 私は、あなた方の、「治す努力の否定」の考え方を同封した手紙を、たいへん興味深く、又うれしく拝見しました。
 あなた方が、吃音問題に関して、ひとつの方向を打ち出されたこと、又そこに到達するまでに費されたあなた方の努力に、私は敬意を表します。
 興味深いお手紙をいただいたお礼の意味もこめて、私は1970年に出版された私の著書『Stuttering:Research and Therapy』一冊をあなた方に、別便でお送りしました。
 その本をお読みになって、又感想を聞かせていただけるとたいへんうれしいです。
 さて、どもりの問題をオペラント条件付けによって研究している人々や、又、どもりは簡単に治りますよと宣伝する人々を含め、多くの臨床家に対してあなた方が抱いているのと同じ疑惑を私も感じています。
 しかし私は、どもりの問題について悲観的ではありません。確かにどもりは、治らないかもしれません。一生どもりのままで過ごさなければいけないかもしれません。しかしどもりであるが故に、自分を卑下して生きていかなければいけない必要は少しもないのです。どもりが治らないからといって自分のすべてをあきらめることはないのです。楽などもり方で明るく生きることは、だれにもできることなのです。
 そのためには、お送りした著書の中でも述べているように、どもりを持っている自分をすなおに受け入れることが大切です。
 そして、話したい語から逃げないで話さなければいけない場面を避けないで生きていきましょう。
 自分の問題に正面から立ち向かい、どもりながらも話し続けていくとき、どもりの問題解決に明るい展望が開けるのです。それはこれまでの私たちの研究が立派に証明してくれています。がんばりましょう。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/09/19

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