吃音は氷山

 吃音研究には長い歴史があります。たくさんの吃音研究者が研究を続けてきました。自分自身がどもるという研究者もたくさんいます。そんなたくさんの研究者の中で、僕は、吃音氷山説を提唱したジョセフ・G・シーアン(カリフォルニア大学教授)が好きです。吃音の問題の本質は、海面上に見えるどもる状態ではなく、海面下の見えない部分にある感情・思考・行動だとする吃音氷山説は、僕が主張してきた考え方とぴったりです。
 1986年、僕が大会会長になり、京都で開催した第1回吃音問題研究国際大会には、彼の連れ合いのヴィヴィアン・シーアンが参加しました。彼の考え方を力強く参加者に伝えていました。その姿が鮮やかに記憶に残っています。今日は、そのものずばりのタイトル「吃音は氷山」という巻頭言を紹介します。僕がまだ国際連盟の活動をしていた頃の議論の話です。
 明日から、シーアンが、どもる人へ送ったメッセージを紹介します。(「スタタリング・ナウ」2007.4.22 NO.152)

  吃音は氷山
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

MOTION21
 「吃音は原因が明らかになっていない言語障害で、人口のおよそ1パーセントの人たちにみられる。両親、教師、友人、周りの人たちが耳にする、どもって話されることばは、問題のごく小さな部分であるという認識をもつことが重要である。どもる人は、隠れた吃音に苦しんだり、新たに吃音症候群と称せられる症状に苦しんでいる場合もある。隠れた吃音というのは、どもらないためにことばの回避、置き換え、言い換えなどの方法を用いることである。吃音症候群というのは、自分の吃音を否定的にとらえることによって経験する様々な症状のことである。これらによって、吃音がさらに重くなり、自分の話し方をコントロールできなくなる。その結果パニック状態や不安状態に陥り、自尊心が損なわれ、対人恐怖や自己のアイデンティティに混乱をきたすなどの症状が含まれる」

 国際吃音連盟(ISA)の理事会では、この、MOTION21の、吃音の定義を巡って熱い論議が続いている。どもる当事者の側から、吃音の社会的認識にかかわるメッセージを社会に広く送ることによって、吃音の理解を深めたいとの願いが込められている。
 提案者の会長マーク・アーウィンは、吃音の定義としてこのMOTION21を出してきた。顧問理事の私は、この文言が「吃音の定義」とされることに関しては強く反対を表明した。日本の反対によって流れが変わり、この提案は否決された。提案者は、まさか日本の私が反対するとは思いも寄らなかったようで、理事の間の論議とは別に、私たちに理解を求め、協力してほしいとのメールが個人的に送られてきた。
 吃音の定義は、吃音の研究者、臨床家にもさまざまな議論があり、現在でも世界に共通する定義はないといっていい。それほど難しいものをどもる当事者が提案することの意図が私たちには理解できなかったからだ。また、このメッセージからは、吃音の暗い側面だけが強調されていた。
 「どもっていても大丈夫」
 ことあるごとに言い続けてきた私たちとしては、これが、「吃音とは何か」の定義とされることには、賛成ができなかったのだ。
 しかし、この提案が、吃音の定義ではなく、「吃音に悩んでいる人の問題とは何か」という吃音の問題として、どもる当事者から説明していくことの必要性については賛成なのである。
 私たちは、吃音の問題は、どもるという状態にだけあるのではなく、吃音を否定的にとらえることによって、吃音を隠し、話すことから逃げる行動、吃音を、悪いもの劣ったもの恥ずかしいものとする考え方、どもった後の恥ずかしさや惨めさ、罪悪感などの感情にあるのだということは、ずっと言い続けてきた。
 だから、私たちは、吃音の症状と言われているものを治したり、改善したりすることを目指すのではなく、前述の行動、思考、感情へのアプローチを30年以上にわたって続けてきた。その中で、吃音をマイナスにとらえるのではなく、「どもっていても大丈夫」という、どもる子どもやどもる人が、私たちの周りには育ってきたのだと言える。これこそが、セルフヘルプグループの活動の成果であり、どもる当事者からのメッセージの中心にならなければならないと、私たちは考えたのだった。
 MOTION21の否決を受けて、MOTION22が出された。提案からは、定義ということばは消えたが、どもる人の苦悩は、吃音を否定的にとらえることによって、いろんな問題が起こるといいながら、吃音の否定的側面だけが表現されていることには変わりがない。クロアチア大会で論議されることには大賛成なのだが、内容にはやはり問題がある。
 世界の吃音臨床は、40年何も変化をしていない気がする。1972年に出版された「To The Stuttrer」は、24名の、自身がどもるアメリカの言語病理学者が、「吃音が治らない事実を認め、吃音と共に生きよう」と吃音の問題を明らかにしながら、決して否定的ではなく、明るい展望が示されている。
 もう一度世界中の吃音関係者と読み直したい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/09/16

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