影との闘い

 竹内敏晴さんの大阪での定例レッスンの旗揚げ講演会を開催したのは、1999年2月11日でした。強風で雨と雪が交じる最悪の天候の中、当初の予想をはるかに超える185名の参加がありました。以来、竹内さんが亡くなるまで、大阪定例レッスンの事務局を続けました。毎月第2土日、大阪市天王寺区の應典院が会場でした。
 生のレッスンを見てもらおう、参加者にもレッスンを体験してもらおう、1年間のまとめとしてレッスンを受けてきた者で小さな舞台を作ろう、そんな思いから始まったのが、公開レッスンでした。2007年の公開レッスンでの、アーシュラ・ル=グウィンの『ゲド戦記―影との戦い』は、竹内さんの脚色によって、幻想的な、迫力ある舞台となりました。僕も、その舞台に出演したのですが、そのときのことを巻頭言を書いています。「スタタリング・ナウ」2007.3.18 NO.151 より紹介します。

  影との戦い
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 寒さが戻った早春の日。日本吃音臨床研究会主催の、竹内敏晴さんの公開レッスンが行われた。今年は、アーシュラ・ル=グウィンの『ゲド戦記―影との戦い』。竹内さんの脚色によって、幻想的な、迫力ある舞台となった。
 『ゲド戦記』を一年かけてみんなと読み進む中で私は、「影」とは、吃音に悩む人にとっては、吃音だと強く思った。私と同じような感じをもったどもる青年が自ら希望して、死人の霊を呼び出してしまう場面のゲドを演じた。「影」への不安と恐怖におびえながらも戦い、敗れ、瀕死の傷を負う。九死に一生を得たゲドに、私が演じる大賢人ジェンシャーが優しく、そして厳しく語りかける。
 「そなたが呼び出したのは死人の霊だが、それと一緒に死の精霊のひとつまでそなたは、この世に放ってしまった。そやつはそなたを使って災いを働こうともくろんでおる。そなたは、もはやそやつとは離れられぬ。そやつは、そなたの投げる、そなた自身の無知と傲慢の影なのだ。いいか、ここにいるのだ。十分な力と智恵を獲得して、おのれの身を守れるようになるまでは」
 私は、大賢人を演じながら、吃音に不安や恐れをもち、吃音に闘いを挑み、悩む若い人たちに語りかけているような気分になった。ゲドはその後、再度、影に挑んで敗れる。助言を求めるゲドに、師オジオンがこう語りかけるところで、舞台は終わった。
 「向き直るのじゃ。このまま先へ先へと逃げてゆけば、どこまで行っても、見えぬものに駆り立てられて、見えぬところにさまようしかあるまい。今までは向こうが道を決めてきた。これからはそなたが決めるのじゃ。追われるものが向き直って、狩人を追いつめるのじゃ」
 舞台が終わって、観客との交流のために舞台をおりたとき、一人の若い女性が「伊藤さん、長縄です」とまっすぐに私に近づき、声をかけてきた。思いがけなく、一瞬驚いたがすぐに分かった。翌日が大阪の大学の入学試験で、私に是非会いたかったのだと涙ぐみながら話し始める彼女に、私も目頭が熱くなった。『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)の感想がびっしりと書かれた2通の手紙をいただいていた、岐阜の女子高校生、長縄美帆さんだった。
 「初めて読んだときは、つらかったことをすべて分かっていただけた気がして、涙が出ました。どもるのに教師になれるのかという不安も、佐々木和子さんの話からなくなりました。この本に出会っていなかったら、今の私はありません。伊藤さんに本当に感謝しています。ゼロの地点に立ってからは本当にすごい日々を実感しています。私立の面接の時に面接を恐れなかったことです。以前なら、面接のある大学は避けようとしたと思います。志願理由書にも、吃音の経験から自分の進む道を決めたことを堂々と書きました。どもったらどうしようとは思いませんでした。吃音がきっかけで見えてきた道を叶えるための面接なのに、どもることを恐れるのはおかしいと思えたのです」

 『どもりと向きあう一問一答』(解放出版社)を読んで、北九州での吃音相談会に私に会いに来てくれたのが、広島大学大学院の原田大介さんだ。
 「2005年1月から吃音と向き合うようになり、様々な吃音臨床の場に参加するようになった私の背中を絶えず押して下さったのが、伊藤さんでした。第16回吃音親子サマーキャンプでは私に発表の場を与えて下さいました。2005年7月に演出家・竹内敏晴さんとの個別レッスンを体験できたことや、2006年11月に大野裕さん(慶應大学教授)と私の公開カウンセリングが実現したのも、伊藤さんのご配慮によるものでした。当事者の立場から吃音についての語りを続ける伊藤さんの存在そのものが、私にとっての救いです。私もまた、自分の経験をもとに語り続けていくつもりです」
 送られてきた博士論文の後書きの謝辞に、私との出会いが書かれていた。吃音は闘うのではなく、向き合うものなのだと言い続けてきて、ふたりの若者と出会えた。向き合うとは、揺れ動き、迷い、立ち止まり、時に逃げたりしながらのものだと、大野裕教授の原田さんへの面接に深く共感した。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/09/10

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