吃音を生きる

 「吃音を生きる」、いつ頃からこのような言い方をするようになったのでしょうか。「吃音とともに生きる」は、吃音を否定せず、吃音が治らないことを認め、吃音と上手につきあっていくことを指していますが、「吃音を生きる」は、さらに、吃音とともに豊かに生きる、すがすがしい覚悟に似た思いを込めました。
 吃音は治る、治せるという情報しかなかった時代にも、吃音を生きる人はいました。そして今、僕たちが大阪吃音教室で出会う大勢のどもる人や、吃音親子サマーキャンプで出会うどもる子どもたちは、吃音を生きています。
 「スタタリング・ナウ」2006.12.18 NO.148 の巻頭言を紹介します。日本吃音臨床研究会とともに活動する大阪吃音教室が、ことば文学賞を通して集めたどもる人の体験集「吃音を生きる」の発刊を知らせています。今、この冊子は、残部わずかとなりましたが、その後発刊した「吃音を生きるⅡ」はまだ在庫があります。Ⅰ、Ⅱとも、各700円です。ご希望の方は、郵便切手700円分を同封の上、日本吃音臨床研究会までお申し込みください。

  吃音を生きる
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 私の手元に、手垢にまみれた一冊の本、『3週間で必ず全治するドモリの正しい治し方』(浜本正之著・日本文芸社)がある。この本を本屋で買った50年前、私は宝物を探し当てたような弾んだ気持ちになった。しかし、内容は、中学一年生の私にはあまりにも刺激的で、弾んだ気持ちがどんどん萎えていった。前書きにこう書いてあった。
 「おそらく、ドモリの体験をしない人々には想像もつかないことでしょうが、ドモリによって言語の自由を失った人々の苦悩、苦悶というものは筆舌ではつくせない悲惨なものがあるのです。私自身、幼時、ふとした事故からこのドモリの悲運に見舞われ、以来、いかに苦しみ抜いたか、それは言語に絶するものでした…」
 そして、第一章には「ドモリの悲劇」として、悲劇の事件の新聞記事を紹介していた。
 中学生の私は、この悲劇を読んで、胸がつまった。どもったままでは未来はない。もちろんこの本には、必ず治るから希望をもちなさいと書いてあるのだが、重苦しい気持ちは消えなかった。吃音をどうしても治さなければと、この本に書かれている治す方法に、夏休みのすべてを使って必死に取り組んだ。
 吃音の悲劇と苦悩に焦点を当て、「吃音は治さなければならない」とした時代は、その後も長く続いていった。
 1965年秋、どもる人のセルフヘルプグループを創立したときはまだ、このような「吃音は治る、治すべきもの」とする情報一色の時代だった。現在はここまで悲劇を強調しないものの、依然その主張は根強い。
 しかし、悲劇が強調された時代にあっても、自らの吃音を認め、「吃音と共に生きる」人は大勢いたはずである。しかし、それらの人の体験は表に現れることはなかった。
 日本吃音臨床研究会と共に活動する、どもる人のセルフヘルプグループであるNPO法人・大阪スタタリングプロジェクトでは、コミュニケーションの能力を磨くために、自分が吃音の人生を振り返り客観的にみつめ直すために、さらには自分たちの吃音に対する考えや思いを知ってもらうために、吃音体験を綴ることを大阪吃音教室の重要なプログラムとして位置づけてきた。
 1998年、「ことば文学賞」と名づけた文学賞を制定し、広く作品を募ってきた。応募作品はすでに100編を越えている。その中から、4人の編集委員が厳選して26編を選び、ジャンルに分けて読みやすくした、どもる人の体験集を発刊した。
 親戚のおっちゃんが平気で大きな声でどもる姿に嫌悪感をもっていたが、今ではその声が実に清々しく聞こえるようになった体験。どもって言えないときの様々な状況をユーモアたっぷりに表現している作品。父親や母親と吃音についての心の交流がやさしくしっとりと綴られる作品。自分の名前や会社の名前が言えず、学校や職場で苦戦しながらも、道を開いてきた体験が集められている。
 作者は、吃音はマイナスばかりではないと考え、どもる事実を認め、吃音と共に歩む生き方をしている人たちである。しかし、この考え方に最初から諸手を挙げて賛成した人たちばかりではない。当初は反発し、3年間も遠回りしながらも、やっと私たちと再び出会えた人もいる。「今はどもりでよかった」と思える道筋に、多くの苦悩があったのも事実なのである。いわゆる安っぽいポジティブシンキングの結果ではないのだ。弱さを認め、逃げたくなる自分をかろうじて支えながら誠実に生きようとしてきた人たちの体験である。
 吃音と向き合い、どもる事実を認め、私の言うゼロの地点に立てば、吃音は決して恐れるものではなく十分につき合っていけるものだと、私たちの周りの多くの人や、17年の吃音親子サマーキャンプの大勢の子どもたちが証明してくれている。
 吃音のマイナス面を強調し、「吃音治療・改善」を目指すあり方から、「吃音を生きる」に転換するには多くの人の体験の積み重ねがまだまだ必要なのだろう。
 吃音は決して悲運や悲劇ではない。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/09/04

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