~作文と感想文に見る~第17回吃音親子サマーキャンプ

 台風10号が、ゆっくりゆっくり日本列島を縦断しています。サマーキャンプに参加していたあの子は大丈夫だろうか、「スタタリング・ナウ」の購読者のあの人のところは大丈夫だろうかと、気になります。被害が大きくなりませんようにと祈っています。
 今日は、第17回吃音親子サマーキャンプの2日目の午前中に書いた作文と、キャンプが終わってから送っていただいた感想文を、「スタタリング・ナウ」2006.9.20 NO.145 より紹介します。

  みんな、みんな、いっしょだよ
                             りな(小学3年生)

 今、わたしは、声がつまる子ばっかしが来ているキャンプに来ています。みんなたしかに声がつまっています。わたしも声がつまります。
 学校の本読みでみんなに「声、どうしてつまるの」とかいろいろ言われました。でも声がつまる子がこんなにいるとは思いませんでした。みんなだって、わたしと同じ思いをしているんだから、もうわたしも3年生なんだし、声のことで泣いているばあいじゃないってこのキャンプに来てはじめて分かった。
 声のつまる子なんか、わたしだけかと思っていたのに、ちょっとわたしは安心した。だって、140人って、さいしょ聞いたときとってもびっくりした。わたしはどうしてこんなことで泣いていたのだろう。ほんよみのこととかスピーチや声を出すことぜんぶいやがっていたのに、こんな声がつまる子ががんばって言おうとしているのを見て、気持ちがかわった。本当にこのキャンプに来て、本当の本当によかったです。

 
  大ちゃんらしくていいね
                             だいすけ(小学校4年生)
 3年生の終わりに友だちが「大ちゃん、『ぼ、ぼ、ぼく』って言うけど、大ちゃんらしくていいよね」と、ぼくに言ってくれました。
 どもりのことで言われたと言えば、2年生のときに「あんた、口こわれてんじゃないの」と言われたのと、女子がこそこそ話だけでしたが、どちらもいやな気持ちでした。
 しかし、「どもるのは、大ちゃんらしい」と言われるのは(この人は、ぼくのどもりをちゃんと分かってくれている)と思ったら安心してみんなの前でどもれます。普段は、どもったらいつバカにされるか分からないから、どもらないように話しています。
 でも、どもらなかったら、その「大ちゃんらしさ」がなくなってしまうから、(どうかな)と思っています。

  僕、だいじょうぶですよ
                            げん(高校1年生)
 高校に入って、もう4ヶ月になる。どもることに関して、あんまり嫌なことはなかったが、最初の国語の時間のことだ。
 本読みがあって、「次は、おれの番だなあ」と思っていたのだが、前の人が読み終わり、僕をとばして僕の後ろの人に、先生があてて読ませたのである。一瞬僕は、「え、なんで僕じゃないん?もしかして吃音だからかなあ」と思っていました。
 僕は、このままずっと本読みの時間とばされるのがイヤだったから、授業が終わってから、国語の先生に「僕、だいじょうぶですよ」と言った。そしたら先生はうなずいて職員室に帰っていった。
 それからは国語の時間、本読みを普通に当てられて読むようになった。

  自分を変える機会を与えてくれた
                             まい(高校3年生)
 今年、卒業になるまで、このキャンプではいろいろなことを考えたりみんなの意見を聞くことができました。そこでどもりは、自分の個性という子、治らなくてもいいと思っている子などの話を聞いて、自分は心のどこかで何でも「どもりだから無理」と言ってあきらめていたことがなんだかちっぽけなことに感じられました。
 例えば、文化祭の劇で友だちが出ることになって自分も少し出たいなあと思ったことがあったのに絶対にどもってしまうしなあとあきらめていました。そんな、何でもどもりだからといって本当は自分に勇気がないだけなのにどもりのせいにして逃げている自分が本当に嫌で変えたかったです。
 そこで今年は、高校最後だしと思ってナレーションに挑戦してみました。でも、仲がいい子3人でやるので練習しよってことになって読んでみたらすごいどもってしまって、何とか最後まで読むことはできたけど本番は何十人という人の中で一人で立って言うのにこのままで大丈夫なのだろうと心配でしかたがありません。
 でも、多分こういう経験ができるのももう最後だし、自分を変えられる一歩になると思うからやりとげたいです。
 こういうふうに考えられるようになったのも自分だけが苦しい思いをしているのではないと分かったし、本当にこのキャンプに来ていなかったら、と考えると恐いなあと思いました。

  愛情を持って、まっすぐに生きることを
                       小学6年生女子の保護者
 キャンプの申し込み書を投函するまでは不安やいろいろ思いが交錯し、参加することを躊躇していました。しかし、私の友人でLDの子を持つ母親から背中を押されたり、申込書に同封されていた温かいメッセージを見て、「参加することでマイナスになるはずはない…」と信じ、決心しました。
 そして、期待、いや期待以上の収穫を得ることができ、3日間の日程を終えたときには、このキャンプに参加できたことを光栄に思い、胸が熱くなりました。
 帰りの車中、驚いたことに娘は、私が質問をする前に、もう早く言いたくてたまらない様子で、キャンプの感想を語ってくれたのです。そして、それは私の想像を遙かに越えたものでした。まず、キャンプに参加してよかったこと、同学年同志の話し合いが一人ではないことを確信でき、大きな喜びであったこと、3日間でからだの中にあった大きな石が抜け落ちたようだということ、そして「私、吃音でよかった」とポツリと笑顔で言いました。それを聞いたときには、今まで辛いことがたくさんあったんだなあと思いましたが、前向きに考えている娘の姿をみて、またひとつ成長できたことを実感できました。
 家に着くとすぐにDVDで昨年のキャンプの様子を見て名残惜しそうにし、もう来年のキャンプを楽しみにしています。
 そして私自身もこの3日間で得たものがたくさんありました。それは、吃音についてだけでなく、子育てや人としての生き方まで考えさせられる内容でした。伊藤伸二さんが基本とされている「自己肯定、他者信頼、他者貢献」は、今の子どもたちの親や教育者など、子どもに関わる全ての大人たちが、真摯に受け止めるべきことがらであると思います。そして子どもたちには、愛情をもって、まっすぐに生きることを教えていく責任が私たち大人にはあることを再認識させられました。子どものためだけでなく、このサマーキャンプは、自分自身をみつめる良い機会になりました。

 サマキャンで成長する
                        小学4年生男子の保護者

 今年のサマキャンで受け取ったメッセージのひとつに「ピンチはチャンスだと思い、環境を自分で変える力をつける」ということがあります。これこそ、まさに昨年のキャンプで息子が学んだことです。「これからは、連絡帳に書いてくれんでも、自分で言うから!」このことばを聞いたとき、私はとてもうれしかった反面、少ない息子の語彙数で、先生や友だちに言いたいことが伝わるのかどうか不安でした。
 幸か不幸か、それからは、何のハプニングもピンチになることもなく、穏やかに時が過ぎています。私の知らないところであるのかもしれませんが、昨年の担任から「けんごは、自分の許せることと許せないことの区別がきちんと整理できる子で、その許せることのキャパシティーが他の子よりもずいぶんと深く広いんです」と言っていただきました。
 それは、まぎれもなく、サマキャンのおかげだと私も息子も思っています。いろんな方々の話を聞け、自分の心を開き、さらけ出せる場所。そして近い将来の自分、遠い将来のモデルになる、どもるお兄ちゃんや成人のどもる人々との出会い。そこには、心に幅を持たせ、肩肘張らずに、のびやかに、生きることへのヒントがたくさんあり、自分のことばを大切に扱ってくれる空間があります。そこで、私の知らないうちに成長しています。
 今年の話し合いの中で、成人の吃音の方が、お勤めされいるとき、電話でどもってしまう、ピンチに直面した折、「電話口で、つまっていたら、僕だと思って下さい」と言うと、次から電話口でどもっていたら「あ~、何々さん?」と相手の方から、言ってくれるようになったというエピソードを、息子たちの前でして下さったそうです。息子は、ニコニコしながら私に教えてくれました。
 ピンチをチャンスに変える、すばらしい具体例を示してもらえた話し合いは、今年も息子の成長に大収穫をもたらすことでしょう。
 最後になりましが、弟の面倒を見て下さったスタッフの皆さんや参加された方々に深く感謝します。おかげさまで私もじっくりと腰を据えて有意義な3日間を過ごせましたし、弟がとてもしっかりしたように思えます。劇で歌っていた歌をもじって、「来年も行こうね。♪ダニーはホラふきうそっぱち!ルビーの目をしたフラナガン♪」と歌いながら。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/30

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