本日ただいま誕生 2
昨日の続きを紹介します。絶望の中から小沢道雄さんがみつけたもの、ひらめきに似た別の思い、それが「本日ただいま誕生」に凝縮されています。
障害から逃げず、しっかりみつめて、そこから新しい人生を切り開いていかれました。生活していく中で決めたという3つの具体的なことにも共感します。「吃音とともに生きる」ことと共通するお話に、僕は今も勇気づけられ、励まされます。
本日ただいま誕生 2
本日ただ今誕生
一人になった私は、これから先のことを考え続けました。「どうしたらいい。これからどうすればいいのか。どうすべきか…」こんな問いが毎日毎日続きました。せっなく、悲しく、辛く、苦しいなかで、いつのまにか、私は祈っていました。
私は満州では一度も仏に祈るなどということをしたことがありません。それが日本へ帰って、手厚い看護を受けて、肉親にも友人にも会って、誰かの力で引っぱってくれるか押してくれるかしてもらわねば生きてゆけない自分をはっきりと見つめたうえで、その昔何げなく読んでいた念彼観音力を唱えるようになりました。
私は観世音菩薩の姿を心のなかに描きながら、どうかお助けください、私はどうしていいのかわかりません、どうか私に生きる力をお与えください、と、一心に祈りました。いかに懸命に祈ったとて願ったとて、現実に菩薩が手をさしのべてくれるはずはないと知りつつも、昔おぼえた「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」を並べたお経の、何か魅力のようなものに引っぱられて、ただひたすらに祈ったのです。
もう一人の私が「祈りなんて廿えだ!」「お経なんてみんな嘘だ!でたらめだ!」と叫ぶ。そしてやり場のない思いに泣きだす。するとまたいつのまにか南無観世音大菩薩と祈りはじめます。
こんな生活が3、4か月も続いた末、ある朝、私は現実を冷静に受けとめました。
観音は私を見捨てた。
観音は私を裏切っている。
もう祈ることを止めよう。
こう心に思いきめたとき、その心の底の方から、ひらめきに似た別の思いが湧き上がってきました。
「苦しみの原因は比べることにある。比べる心のもとは27年前に生まれたということだ。27年前に生まれたことをやめにして、今日生まれたことにするのだ。両足切断したまま今日生まれたのだ。今日生まれたものは一切がまっさらなのだ。
そうだ、確かにその通りだ。本日誕生だ。ただいま誕生だ。それで一切文句なし。足がどんなに痛くても、痛いまんま生まれたのだ。たとえ両足がなくても、動けなくても、足のないまんま、動けないまんま生まれたのだから、何も言うことなし。この足のない動けない状態がはじまりなのだ」
ここまで思い至ったとき、私は無意識に、「南無観世音大菩薩!」と、心のなかで叫んでいました。
人間として足がないということは、助けを求める、願う、といった”甘え”では片づきようがない。にもかかわらず甘える私を、観世音菩薩はただ黙って観ていたのだ。そして甘えではどうにもならないというところへ行きついたとき「本日誕生」を示現してくださったのだ。
私はそう思わざるを得なかった。
「ようし! 俺は本日ただいま誕生したのだぞ!」
私は歯を噛みしめ、初めて自分で、自分の全身、身体のすみずみにまで力を入れました。
新しい人生
このようにして、私の新しい人生が始まりました。しかし、「本日ただ今誕生」といっても、私は全面的に人の世話にならなければ生きてゆくことのできない身です。新しい自分の生活をどうするのか考え、次の3つを心に決めました。
・どんなにせつなくても、どんなに苦しくても、顔だけはにこやかにしていよう。
・ものを頼むとき、自分は両足がないから当然だ、という態度は絶対とらないことにしよう。
・人に何かをしてもらったら、ありがとうと必ず感謝しよう。
人間はさみしい時はさみしい顔をし、苦しい時には苦しそうな顔をするものです。しかし、そうしたところで、そのさみしさが、苦しさが軽くなるわけではありません。むしろ引きずりこまれて重くなってしまうことの方が多いようです。たとえ、自分の生活がみじめでも、苦しくても、一日は一日として過ぎていきます。なるべくなら苦しい顔でなく、明るい顔ですごすべきだ、と思ったのです。
また、私は重度の障害者ですから、自分でできないことばかりです。病院の生活を続けているうちに、してもらうのが当然だという癖がついていました。これではいけない。ものごとを頼むときには、当然という態度をとらないで、やってもらったら必ず感謝しよう、と決めたのです。私はこの3つを深くかみしめ、実行していきました。
ところがその日の夜から、看護婦さんが、私の病室の前を通るたびに、「何かご用は?」と声をかけてくれるようになりました。不思議な現象でした。私はただ、顔だけでもにこやかにしていよう、当然だというような態度はとらないようにしよう、「ありがとう」と感謝しよう、と決めて実行しただけです。それが、すぐにこんな反応となって返ってくるとは、本当に思いもよらないことでした。
このことで私は自信を持ちました。自分の心を変えると、こんなにも周囲が変わるのかと、目を開かれる思いがしました。
障害から逃げずに
そういうわけで、私の「本日ただいま誕生」後の生活は、順調にすべり出しました。もちろん、うまくいかず、死のうと思ったこともたびたびありました。しかし、その過程の中で、いろいろなことが身にしみて分かるようになり、私自身が育てられました。
いろいろな障害に出会うと、みんな迷い、苦しみ、考えます。人によっては、その苦しみから逃げよう、ごまかそうとします。私の実感としては、それがいけないようです。逃げず、ごまかさず、その苦しさをそのままかみしめて、正面からぶつかっていくことが問題のまともな解決方法だと思うのです。逃げてばかりいては、逃げる癖がついてしまいます。いつまでたっても人生の喜びが感じられないような結果になってしまいます。
せっかくの人生です。どうか生き生きと生きて下さい。そして生きるために、身の回りにころがっている喜びの種をさがして下さい。
お蔭さまで
おまん見たか、いや俺はまだだ。この頃妙応寺には足のないお坊さんがいるらしい。それにしても、よくまあ両足ないのに托鉢で歩いて来たもんだ。これが、到着当時の村人や檀中のうわさだったようです。なかにはわざわざ見学に来て、「和尚さん、どうした」と、直接インタビューする者もいました。これは私が何処かで定着した場合、当然おこり得る浮世の義理だと思っていましたので、にこにこ笑って答えていました。
「私はね、無条件降伏して、まあ、どうしようもないので頭を剃ったわけだ。だからあまり立派じゃないな、ハッハッハッ。まあよろしく」
寺に来る一人ひとりに繰り返しているうちに、私は、しだいに村人に馴じんでいきました。何しろ、頭は剃って衣は着ているものの、格別願心とてない最重度の身体障害者です。寺へ入ってから今日までにも、無手勝流、いや無足流の、相当面白い話題もあって、反省も含めてお話したいところですが、今回は時間がありません。しかし、この私の物語のある決着だけはつけねばならないでしょうから、それからはじまる私の生活態度に少し触れて、その結びとします。
結びに代えて―托鉢―
これはいわゆる、行き着いた処の、人生の結論であるし、ちょっと大げさに言うと、私が自己を問い詰め、噛みしめ、一歩一歩この義足で納得した、つまり私における仏道と申すべきものでもあるから、人はどうであれ、この世にしばらくおいてもらった記念としても留めたいものです。
これを托鉢ということでまとめてみます。
京都山科に西田天香さんが創められた一灯園があり、天香さんが亡くなられた現在も天香さん生存のままの状態で、数百名の人々が、厳しく托鉢者としての道を歩いておられる。そこで私はいつもこの人たちに思うのですが、ここには煮詰められた絶対危げのない、人の在り方が示されています。いやこの人たちこそ、仏教の生活実践者だ、と思います。そこで結論的に言うと、
ここに人在り、恕(ゆる)されて生きる。
ということになります。恕されて生きるのであるから、当然恕されていることに対しての感謝の念が生じなければなりません。そしてその感謝の思いは、日々の生活の中で、何かこの社会のために奉仕しなくては申しわけがない、という行動実践にもつながってゆきます。これをまた別の面からみると、「今日このようにあるのは、先祖、親、社会のお蔭である。お蔭という意味をもう少し掘りさげてみると、まあ借金で成り立っているようなものだ。借金は返さなくてはならない…」
ということになります。ところが、この借金を返せる場合はいいが、返せない場合、返せない人は、いったいどうしたらよいか、となって、私の場合、相当苦しんだものです。
何もできないじゃないか。お前は、衣にかくれている、と追求されると、なんともお応えができない。そこでまあ、私としては、両手を合掌して申し訳ない、と思うだけでした。つまりお返しのない、いただきっぱなしでいるより仕方がないことでした。そしてつらつら思うことは、お返しはできないけれど、日々の生活の態度として、
一、微笑を絶やさない。
一、人の話を素直に聞こう
一、親切にしよう。
一、絶対、怒らない。
ということを肚に決めて、これだけはしなくては申しわけないとやりはじめたのは、ちょうど妙応寺に上山した頃からです。
これは、合掌ということが中心となって、まとまり、運用されたのです。微笑は人間だけが持つ素晴らしいものであるし、これが癖になってしまえば、生活の滑りがよくなるという私の生活の知恵。人の話を素直に、というのは、自分以外はすべてが教師であるという、愚かなる者の結論。親切にしよう、というのは、これは若干積極的な意味も加えられるものであって、恕されていることに対してのお返しが根底にあり、やれることはなんなりと喜んで、ということです。怒らない、というのは、どう考えても、何処を探しても怒る理由がみつからない、ということです。気は配るが、神経は使わないという方針と、この四つの柱はいつのまにかミックスしてほどよい交流となり、私という重度身体障害者を、今日まで運んでいるものなのです。
私における托鉢は、単に路頭で歩きまわるだけが托鉢ではない。育ててもらっている一切を有難く頂戴するということです。これは人から受ける物心両面だけでない、天地一切、空気も、水も、光も有難く頂戴するというのだから、こんな平和な、安全な姿勢はないわけです。
そしてこれとはまた別に、路頭の托鉢中、体に浸み込んだもの、私がそこに在ればそこで、眠っていれば眠っている問に、私の内なる根源に、空気が、大地が充たしてくれる精気の如きもの、これも有難くいただこう、というのであるから、生きる事いっさいが托鉢ということになります。病気が来たら、病気を托鉢、死が来たら、死もまた托鉢ということで、つまり、両足切断も有難い托鉢であったというわけなのです。(了)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/10