比較地獄

 「苦しみの原因は比べることにある」
 静かに、穏やかに発せられたこのことばに、僕は深くうなずき、まさにそのとおりだと思いました。ここに行き着くまでの苦しみは、僕には想像もできないほど大きなものだったと思いますが、優しく、軽やかに伝わってきました。「吃音者宣言」を発表し、反発もある中で、確かな道を歩こうとしていた翌年の1977年、達磨禅師、小澤道雄さんと出会ったのです。そのときのこと、今でも鮮やかに思い出すことができます。
 「スタタリング・ナウ」2006.6.20 NO.142 より巻頭言を紹介します。

比較地獄
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「苦しみの原因は比べることにある。27年前に両足をもって生まれたその日と比べるから辛く悲しく切ない。ならば、27年前に生まれたことをやめてしまえ。両足を切断したまま、今日ここで生まれたことにしよう。そうだ、本日ただいま誕生だ」

 おだやかな笑顔、やさしく響く声、「月の砂漠」を歌ったときの伸びやかな歌声。鮮やかに思い出せる。大学の講義や講演など、数え上げればきりがないほどに、私は人の話を聞いてきたが、人目はばからず大粒の涙が止まらないほどの話に出会ったことはない。30年以上も前の小沢道雄さんの話が初めてで、その後もないから、おそらくこれからもないだろう。なぜ、あの時、あそこまで私は涙を流したのだろう。
 「苦しみの原因は比べることにある」は、私が吃音の悩みの中でずっと考え、私なりに考えついたキーワードでもあった。そこから「吃音が治ってからの人生を夢見るより、今を生きよう」と提起し、誤解や批判を浴びていた時期だったことも大きい。私の主張が、私の経験をはるかに超える絶望の中から湧き、より説得力をもって響いてきたからだった。「そうだ、そうだ」の小沢さんへの共感は、「あなたの主張は正しい、普遍的なものだよ」と、私への共感を感じ取った喜びでもあったのだろう。あの涙は私自身への応援の涙だったのかもしれない。
 そうなのだ。私は常にクラスの人たちと比較していた。すらすらとよどみなく朗読し、1分ほどで次々とみんなが読んでいく中で、私はどもってどもって5分もかかった。この4分の差はとても大きく、これでいいとは到底思えなかった。
 クラスのほとんどの人には仲間がいた。休み時間、運動会、遠足、修学旅行。みんなが楽しくしている中で私はいつもひとりだった。
 人より秀でて、何かができるようになりたかったわけでも、友だちがたくさん欲しかったわけでもなかった。ひとりでも友だちがいればよかったし、みんなのように普通にしゃべり、ただ普通の生活がしたかっただけだった。
 私の家は貧しかった。何でも買えるようなお金持ちと比べたのではないが、決められた期日に「給食代」を小学校にもって行きたかった。決して忘れることはないのに、何度も「忘れました」と言った。その必要のない他の人が当時はうらやましかった。
 数え上げればきりがないほどに、私はいろいろなことを人と比べる癖がついていた。そして、他人の目をいつも気にする人間になっていた。常に他人を意識する生活は、窮屈で、自分が生きているという実感がもてなかった。他人に支配された生活だといえるだろう。私は比較地獄に堕ち、さらに吃音の悩みを深めたのだった。
 この比較地獄に気づかせ、人と比べることの無意味さと、普通とは何かを教えてくれたのが「吃音」だった。どもる自分と、どもらない多くの人々。自分の中でさえ、比較的どもらない自分とひどくどもった自分を比べた。どもらない人間を夢見た。吃音が治らない現実を知っても、治ることにこだわって、吃音が治ってからの人生を夢見るほどばかばかしいことはない。
 人と比較することで悩みを深めた吃音だが、比較地獄から私を解放してくれたのもまた吃音だった。それまでの、他人の目が気になって、他人に左右された人生から、私は人と比較をしない、自分の独自の人生を歩み始めた。
 比べることは、劣っていると卑屈になり、優れていると傲慢になる。財産、地位、その他、人と比べたくなるものはたくさんある。比較地獄から解放されたことによって、私は独自の考えをもつことができるようになった。他人の目、世間の常識よりも、自分が経験し、感じたり考えたことを大切にするようになった。多数派でなくても、信じたことは少数派でもいい。他人の目から、他人の呪縛から解放してくれた吃音に感謝している。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/07

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