息子Aの吃音を受け入れて
昨日、2005年8月19日、浜松市で行われた、第21回全国ことばを育む親の会全国大会・第33回東海四県言語・聴覚障害児教育研究大会での実践発表を紹介しました。そのとき、ことばの教室の担当者だけでなく、実践に登場する子どもの保護者も一緒に発表されました。今日は、吃音親子サマーキャンプに参加されたこともあるその保護者の発表を紹介します。また、発表当日の会場での様子についても、報告します。(「スタタリング・ナウ」NO.141 2006年5月)
息子Aの吃音を受け入れて
鈴木久代
Aの成長を振り返って
息子の話し方が気になりだしたのは、2歳半の頃でした。発することばの第一音を長く伸ばすようになりました。例えば、「あーーお(青)」「さーーわこちゃん(佐和子ちゃん)」というふうに。また、伸ばしているときは、力んでいるようでした。ただいつもこういう話し方になるのではなく、自然に消失したように感じられる時期もありました。
ちょうど、3歳の誕生日が3歳児検診の日でした。検診後、Aの話し方について相談したことを覚えています。その頃は、「おおおおおかあさん」というふうに第一音を何回も繰り返す状況でした。保健士さんからは、特にアドバイスはなく、「様子をみましょう」ということでした。幼児期のAは、とても活発で、外遊びが大好きで一日中外にいるような子でした。母親としての一番の心配事は、Aの身長が伸びないこと(体格が小柄すぎる)で、いつ、どこの医療機関へ、どのようにかかればよいか情報を集めていました。
また、Aは幼稚園の年長まで、ほとんど毎晩2回も夜尿があり、その度に着替えないと納得しませんでした。母の私は、寝不足の頭でどうしたら夜尿がなくなるか考えました。夕食を薄味にして水分の摂取量を抑えることや夜中にトイレに起こすことなど、いろいろ試行錯誤を繰り返していました。
ですから、Aの話し方は気にはなったものの、さほど深い悩みではありませんでしたし、ましてや吃音とは思っていませんでした。
ところが、身長の伸びの悪いことは、その後の入院・検査により、「成長ホルモン不全性低伸長症」と診断が下され、治療が始まりました。夜尿も長ずるにつれて、だんだん失敗の回数が減りました。最後の失敗は、「小学校2年生の夏休みに静岡の祖父母宅に泊まったとき」としっかり記憶されているくらい、私にとって鮮明です。それ以後、失敗はありません。「一度でいいから起こされることなく、ぐっすり眠ってみたい」と願ったことが嘘のようです。
幼稚園の年長の生活発表会で、Aは主役の和尚さんの役になりました。発表会の日は、つまることなくセリフを言うことができました。しかし、後から先生方に「練習中はどもっていて、当日言えるかどうか心配した」ということを聞きました。当日の姿からは想像もつきませんでしたが…
A本人は、このときの体験で「自分は他の子のようにことばがスラスラ出てこない」と漠然と意識したのではないかと思います。
小学校に通うようになり、担任の先生から「2学期からことばの教室に通いませんか?」と言われて初めて、ことの重大さに気づきました。通常の授業を抜け、一人だけ別室で通級指導を受けることには、親の私に抵抗がありましたので、Aには相談しないで、隣のB小学校の通級指導教室に授業後通うことにしました。毎週水曜日、5時間目が終わるとAを迎えに行き、B小学校へ移動して6時間目の授業を親子いっしょに受ける生活が始まりました。
通級は、1年の2学期から4年の2学期の終わりまで続きましたが、親子共々楽しく通わせてもらいました。小学校を2校も通って2倍楽しんだ感じです。「通級って何?」から始まった私たち親子でしたが、担当の先生との出会いにより、Aは伸び伸びと育つことができました。
通級の教室へ行くと、まず、この1週間で心に残ったことや先生に報告したいことをスピーチします。先生は、話を聞きながらノートに書いて下さいます。それをAが再度読むということを毎回必ずしました。今でも、作文を得意としているのは、この積み重ねのおかげもあると思っています。
運動が得意なAは、体育館で跳び箱、マット運動、ドッジボール、運動場で50メートル走、リレー、野球、サッカー、竹馬、一輪車、冬は雪合戦などをB小学校の子ども達をも巻き込んでいっしょに楽しませてもらいました。体育館のカギをその都度自分で職員室へ借りにいくこともさせてもらいました。節分の豆まき、七夕、クリスマスなどの季節の行事もさせてもらいました。梅の木から梅を取ってジュースを作ったり、柿の木から柿を取って干し柿を作る体験もさせてもらいました。通級終了間近い頃、よく遊んでもらったB小学校の6年生にお礼を言おうと教室へ行き、みんなの前で堂々と挨拶させていただいたこともすばらしい体験でした。これらを通してコミュニケーションの楽しさを味わうことができたと思います。
しかし、一方で、手でリズムをとらないとことばが出ない症状が2年生の後半くらいから現れてきました。「・・・・鈴木です」と自分の名前さえなかなか言えないときがありました。一人で買い物にも行けないときは、私がいっしょに行き、手助け(口助け)の欲しいときに手(口)を貸す、それまではそっと見守るということを続けました。
3年生になり、楽器と出会いました。リコーダーが大好きで、車に乗れば目的地まで吹きづめでした。今は、よき先生と巡り会えて、ピアノがAの癒しになっています。
3年生の夏休み、通級の先生の紹介で、日本吃音臨床研究会主催の「吃音親子サマーキャンプ」に参加させてもらいました。Aにとって、どもっている大人に会ったのは初めてだったと思います。そこで、「どもってもいいんだよ。あなたは一人ではないんだよ。あなたには力があるんだよ」というメッセージをしっかり受け取ることができました。このキャンプへの参加は、今までの心の支えになっています。
この時期、Aは、ボーイスカウトのカブスカウト隊に属していました。行事前になると、子どもから子どもへ掛け回し電話がありました。日にち、集会名、集合場所、集合時間、解散時間、持ち物等、聞いたとおりに次の子に回すのです。電話が掛かってくると聞きながらメモをとります。聞き終わるとメモの内容を復唱します。OKが出ると次の子に回すというものでした。慣れない頃は、最初の電話から掛け終わるまで1時間もかかり、泣きながらのときもありました。相手にことばが伝わらないこともありました。この丸三年間の積み重ねで、どもることから逃げない覚悟ができたように思います。
学校や友達とのとの関わりでは、各学年の始めに、担任の先生とクラスの保護者にAがどもることを話しました。そして、電話が掛かってきたとき、もし「あれっ?」と思うことがあったら「鈴木君?」と聞いて欲しいとお願いしました。低学年の頃、我が家に遊びに来てくれる子ども達には、「A君は、どうしておかしなしゃべり方なの?」と聞いてくれたら、待ってましたとばかりに癖だということ、病院へ行っても治らないことを話しました。Aには、「このどもりと仲良くしていこうよ」と言い続けました。
学年が進むにつれて、授業で発表する機会が増えます。参観日や学習発表会では、Aがどもってもいい雰囲気がクラスにあり、子ども達にも先生方にも感謝しています。Aは、みんなの前で堂々とどもることはなかなかできませんでしたが、音楽会で指揮者をしたり、市の陸上大会に出場したり、社会見学の老人ホームでお年寄りの話を聴くことに集中したりと、話すこととはまた違う場面で、自分らしさを模索していたと思います。
この4月より、Aは中学生になりました。緊張の連続だったのでしょう。「お母さん、僕のどもりが100万円で治るなら払う?」と聞いてきたので、「100万円でも200万円でも払うけど、どもることは治らないから仲良くしていこうよ」と話しました。
自己紹介のとき、「すずき(鈴木)」が言いにくいようなので、「『Aすずき』」でもいいし、『あのー』って言うと意外に滑らかにいえるかも…」とアドバイスしました。
一ヶ月間、悩みに悩んだ末、Aは自分で部活を決め、新しい生活に目標らしきものができてきました。これから先、Aにいつまた乗り越えなければならないハードルが現れるかもしれません。毎朝、元気よく登校していく姿に「これからもずうっと周囲の人たちも巻き込みながら、お母さんもいっしょにがんばるからね」そう心の中で言い聞かせています。
第21回全国ことばを育む親の会全国大会・第33回東海四県言語・聴覚障害児教育研究大会に参加して
春日井市立高森台小学校 言語語通級指導教室 尾関稲子
2005年8月19日、浜松市で行われた大会で、鈴木久代さんとともに、吃音分科会で、発表しました。司会は、岩倉南小の奥村寿英教諭、助言者は、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二会長でした。二人の発表の後、会場からの質問も含め、助言者も加わって、話し合いを持ちました。発表以外の報告をします。
会場からの質問に答えて、また話し合いの中で伊藤伸二さんは自己紹介を交えてこう助言されました。
発表後の討議の中での質問に答えて
40年間吃音と関わり、1万人近いどもる人や子どもに出会いました。どもる人は、「吃音を通して人生について考える」テーマを与えられた人間だと思っています。私は吃音に悩んでいたので、真剣に人生を送り、真剣に人に会い、真剣に人と話すことができました。今は本音で、吃音でよかったと思っています。
人間は、変わることのできる存在です。21歳まで、吃音を治そうと必死になったが、だめでした。しかし、悩んだ故に「自分には、どもりを通して生きるテーマを与えられたのだ」と考えるようになりました。どもりだからといって何もできないと思ったり、何もしなかっただけではないか、と考えるようになりました。とはいうものの、どもりをすぐに受け入れなくてもいいと思います。受け入れることは、簡単ではありません。生涯をかけていけばよいのです。
「ことばの教室に通級しなくなる思春期の子どもに、ことばの教室として何ができるか?」の質問には、神戸市立稗田小学校〈であいのひろば〉の実践を紹介したいです。1年に2回ほど、休日に子ども達や保護者が出会える時間を設定しています。ことばの教室の卒業生と在籍している児童が対象で、卒業した中高生にとっても、現在在籍の子どもにとっても保護者にとっても大きな意味があります。心のよりどころになります。ことばの教室の役割は、「場を作ることである」と考えています。
助言者の吃音観
アメリカでは、「どもる」症状を問題視して、流暢に話すことや楽にどもることを目指しますが、私は、自分の吃音をどう受け止めるかを重要視しています。「治さなければならない」から「どもっていても大丈夫」という吃音観の転換や、「自分のしたいことやしなければならないことは、どもってもする」という考え方と行動の変化が大切です。
どもる子どもはやさしくて、人を思いやる気持ちを持っています。他者への思いやりは、低経済成長の現代を生きていく上で大切なキーワードであり、優しさのあるどもる子どもの未来は明るいと思います。
「子どもは、10歳前後にライフスタイルを考え始める」とアドラー心理学で言われています。この時期に「自己肯定」感をもつことが大切で、今回の二つの発表がそうでした。それには、自分も役に立っているという感覚=「他者貢献」や、周りは基本的には味方だという「他者信頼」がなくてはなりません。大人はこの時期に「あなたはひとりではないよ。私はあなたの味方だよ。あなたはあなたのままでいいよ」と発信し続ける必要があるのです。
どもる子とは、吃音をオープンに話題にし、苦戦していることがあれば対策を一緒に考えましょう。
何より、「正しく滑らかに言わなければならない」という文化をやめるのが一番いいです。結局、親としてできるのはいわゆる普通の子育てしかありません。
会場からの質問に答えて
Q 子どもに吃音を自覚させた方がいいでしょうか。友人から「ことばがつまるのはどうして?」と訊かれたらどう答えるのがよいですか。
A 本人や友人が尋ねてきたらチャンス到来と考え、正しい情報をもとに、事実を親のことばで説明すればよいのです。幼稚園の子どもでも、質問してきたら、どもる事実を認めて自覚させましょう。「どもりを意識させるとひどくなる」と思われているが、恐れることはありません。吃音をマイナスに意識することがむしろ問題なのです。一番してほしくないのは、周りの大人が、「吃音はかわいそう」と思うことです。すると、子どもは「吃音は悪いもの」とマイナスのイメージをもちます。「吃音を自覚させると傷つくのではないか」と思い込むのは、子どもに失礼です。中途半端な配慮は、子どもを傷つけます。
親は、吃音を受け入れることができなくても、「まっ、いいか」と、どもる事実を認める、0(ゼロ)の地点に立つと、子どもの自己肯定感につながります。
Q ことばの教室に通っていることをクラスの友達にどう伝えたらよいですか。
A その子どもの事情によってどんな説明をしてもいいです。事実を正直に率直に伝えればいいのです。吃音についても説明します。そのうえで、「○○ちゃんは、ことばの教室で、吃音についてもっと勉強し、吃音とどうつきあっていくのがよいか学んでいるんだよ」と説明すればよいでしょう。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/05