暗黒面のパワー
さあ、今週末は、第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会を千葉県で開催します。今、地元千葉の仲間が、資料を印刷をしたり、もちものを確認したり、参加者名簿を整理したり、横断幕を作ったり、と忙しく準備をしてくれています。
僕たちも、明日、千葉に、前日入りします。
どんな出会いが待っているか、とても楽しみです。
遠くから参加いただく方もいらっしゃるようです。どうぞ、みなさん、気をつけてお越しください。
今日は、「スタタリング・ナウ」2006.4.23 NO.140 の巻頭言、「暗黒面のパワー」を紹介します。劇作家で演出家の鴻上尚史さんから教えていただいた言葉です。
吃音の暗黒面、それに引っ張られないで、吃音とつきあっていきたいです。
暗黒面のパワー
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
長い長い吃音研究臨床の歴史は、吃音の暗黒面にだけ焦点を当てていたといっていいだろう。
民間吃音矯正所は、吃音治療を金儲けの手段としているからできるだけ多くの客を呼び込まなくてはならない。そのためには、吃音の暗黒面ばかりを強調するのが一番手っ取り早い。吃音からくる悲劇を並べ立てた。それを読んだ私たちは「吃音は悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの、治さなければならないもの」と思い込み、多くの人が吃音矯正所の門を叩いた。私が経験したこの吃音事情は、現在も大差はないだろう。
「ひどくどもっていては決して有意義な人生は送れない」と、吃音研究臨床の中核に吃音症状の消失、軽減を置かなくてはならないと、私を批判する吃音研究者もいる。吃音の暗黒面は、吃音研究臨床の原動力になっていたということなのだろう。
暗黒面のパワーは強い。そして、「吃音を治そう」「吃音は治る」と結びついて、パワーは倍増する。「吃音は必ず治る」とするインターネットのサイトや書籍は、吃音に現在悩んでいる人を引きつける。インチキなガン治療に多くの人が半信半疑ながらもひきつけられていくのは、パワーアップした暗黒面の力による。どもる子どもの親、どもる人本人も「治る」「治せる」にひきつけられていく。
2002年の吃音ショートコースのゲスト、劇作家で演出家の鴻上尚史さんと私との対談は、楽しい中に、私の問いに誠実に答えて下さる鴻上さんから多くのことを学べた実りある対談となった。その中で特に印象に残ったのが暗黒面のパワーだ。他の劇団がつぶれていく中、鴻上さんの劇団が人気劇団になっていったこと、イギリス留学のとき英語に苦戦しながらサバイバルしていったことは、私たちの吃音に通じるものがあり、興味深かった。
「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかだ」と真正面からそう主張し始め、精力的に動き始めて35年ほどになる。しかし、なかなかこの主張が大きな流れにならないのは、吃音の暗黒面の巨大なパワーによるのだろうか。
何かひとつの主張を明確に打ち出すと、人はよく、もう一方の主張にも耳を傾けなくてはならないと言う。どちらにも一長一短はあるし、一理はあるのだからと。吃音についても例外ではない。
言語聴覚士の専門学校で、私が私の主張を説明すると、私とは反対の主張も、もっと知りたかったと言われることがある。そちらの方がむしろ主流派で、インターネットでも書籍の中でも知ることができるからと言っても、納得してもらえない。時間を割いて解説することになるのだが、吃音の暗黒面をかいま見ることになり、私自身は、むなしさ、腹立たしさを改めて感じてしまう。
21歳まで私を苦しめた暗黒の世界には、もう決して戻りたくはない。そして、暗黒面のパワーを知り尽くしているから、見たくもないのだ。
「どもっていても大丈夫。どもっていてもあなたの未来は決して暗くない」
35年以上、私の考えは微塵もぶれることはなかった。ぶれることがなかったのは、このような主張が私だけの体験によるものではないからだ。
この春、一緒に活動してきたふたりの仲間からうれしい連絡があった。
ひとりは、大学を卒業して養護施設に勤めた。最初、彼があまりにもどもるので、施設の子どもたちは彼の吃音をからかい、なかなか指示が行き渡らなかった。もうひとりは、小学校の教員になった。離任式の時、用意した挨拶がどもってできなくて「ファイト、ファイト」とだけ言って壇上を降りた。
養護施設の彼は施設長となり、教員の彼は150人の教職員のいる養護学校の校長になった。ふたりとも、勤め始めた頃は、どもるための苦労が絶えなかっただろう。それでも、暗黒面に引っ張られずに、がんばり続けてくれたことがうれしい。
サマーキャンプで出会った子どもたちも、「どもっていても大丈夫。どもりが治らなくてもなんとかなる」という生き方をしている。
暗黒面のパワーに負けることなく、私たちなりの発信を続けていきたい。大勢の仲間と共に。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/25