第8回ことば文学賞 2
先週末の13・14日と、吃音親子サマーキャンプの事前レッスンがあり、それに関連して、うれしい話もあり、ことば文学賞の作品紹介がストップしてしまいました。つづきです。「スタタリング・ナウ」2006.2.25 NO.138より、優秀賞作品を紹介します。
《優秀作品》もう、大丈夫だよ
鈴木智恵(神奈川県、36歳、主婦)
あまりの痛さに声も出ない。天井まで届きそうな、我が家で一番大きなドアに手の指を挟んでしまった。脂汗を流し、その場にうずくまると、父親のことが頭に浮かんだ。
私がまだ生まれる前のこと、父は岩に手の指先を挟まれ、一本の指の爪が大きく変形してしまったという。「お父さんもこんなに痛い思いをしたのだろうか。今日は元気でいるだろうか…」そんなことを考えていた時、突然、電話の呼び出し音が鳴った。実家の母からだった。
「お父さん、入院することになったよ」
父は12年前に、脳内出血で倒れ、リハビリをしながら療養生活を送っていた。大きな病気をして、体が弱くなっていたのか、風邪をこじらせては、時々入院することもあったがいつもすぐに退院していた。今回もきっと大丈夫だろう。思わぬ父の入院騒ぎに、指の痛さのことはもうすっかり忘れてしまっていた。
父は吃音者だった。と言っても会話に困っている様子もなく、話す声は誰よりも大きかった。消防士として、現場で仕事をしたり、緊急連絡のやりとりをするうちに、鍛えられたのだろうか? 自宅にかかってきた電話を真っ先にとって話す父の声は、家中に響き渡っていた。幼い頃、私は父が吃音者であるとは考えたこともなかった。でもやがて、自分自身の吃音の悩みが深いものなっていくと、父の話し方が、私と同じであることに気づいてしまった。父のどもる姿は、自分を見ているようだった。どもることはいけないこと、劣っていることと思っていた私は、次第に父との会話の場面を避けるようになっていた。その上、「私が吃音になったのは、お父さんのせい」、そう思い込むことで、どもっている自分から何とかして逃れようとしていた。父と吃音について話したことはない。私には、語り合える勇気がなかった。父も同じだっただろう。きっと私が傷ついてしまうことを恐れていたのかもしれない。
母から毎日のように、父の病状を聞いていた。検査の結果はあまり良くない。ここ数年、父の老いていくスピードが速くなっていったような気がしていた。実家からの電話がだんだんと怖いものになっていった。
そんなある日、吃音者の人達だけのワークショップが開かれる知らせが届いた。日本吃音臨床研究会が主催する吃音ショートコースで、2回目の開催だという。前回は参加しなかった。どもる姿を見られたくないし、他の人がどもっているのを見るのも嫌だった。自分と同じ吃音の「仲間」を求めていたにもかかわらず、いざとなると、最初の一歩が踏み出せなかった。迷っていた参加だったが、今まで体験したことのない、「どもる人達だけの世界」に身を置くことで、父の入院という現実を忘れられれば…そんな思いで行くことにした。
当日、ワークショップの会場に恐る恐る入っていくと、そこには暖かい空気が流れ、仲間達が迎えてくれた。どもりながら言葉を交わすと、不安も吹き飛んで、その心地よさに感激して、胸がいっぱいになっていた。ありのままの自分でいられる場所をようやく見つけた瞬間だった。仲間達の語る言葉には力があった。それが、体験であっても、悩みであっても、心の中にスッと入ってくる。今までに体験したことのない、不思議な感覚だった。そして、私の吃音に対する思いを劇的に変えた出来事が起ころうとしていた。ただその時の私は、まだそのことが大きな意味を持っことになろうとは思ってもいなかったのだが。
その出来事とは、伊藤伸二さんがお話の中で、吃音者であったご自分のお父様がなくなった時、本当に悲しい思いをしたが、お父様が、吃音というプレゼントを自分の中に残してくれたと思うことで、悲しみを癒すことができた。…と語られていたことだった。プレゼントだなんて…。とてもそんなふうに思うことはできない。私の吃音はあくまでも、「お父さんのせい」、治るものなら消えてほしいよ。どもることは自分なりに受け入れていたつもりだったのに、まだ別の思いがあることにも気づかされた。ワークショップの2日間、私の思いは、オセロゲームのようにパタパタと入れ替わっていた。
仲間達とも別れ、いつもの生活に戻ってからしばらくたったある日、母から電話が入った。
「お父さん、亡くなったよ・・」
検査をするたびに悪いところが見つかり、ついには体に負担がかかるからと、検査することさえできなくなっていた。覚悟はしていたが、知らせを聞いて頭の中が真っ白になってしまった。荷物をまとめ、亡くなった父が待つ実家へと急いだ。
父は和室で静かに眠っていた。入院から3ヶ月、食事がとれなかったので、ずいぶんと細くなっていた。口はしっかりと閉じられ、いい顔をしていた。葬儀屋さんの説明を受けながら、お通夜の準備が進められていった。旅支度のため、父に草履をはかせ、手に杖を持たせようとした時、母が葬儀屋さんに尋ねた。「主人は病気で、右半身が麻痺していたので、杖はいつも左手で持っていました。この杖はどちらの手に持たせたらいいのですか」
すると葬儀屋さんは、「病気はみんな治って旅立たれていきます」。「じゃあ、お父さんの利き手の右手に持たせてあげようね」とみんなで父の右手に杖を握らせた。私は固く結ばれた父の口元を見つめながら、吃音はどうなるの? 治ってなくなっちゃうの? でもどもりは障害でも、病気でもないと思うし・・。では、父は吃音と一緒に天国へ旅立っていったのだろうか。「ねえ、お父さんはどっちがよかった? 治った方がいいと思っていた? 不自由な体も苦しかった病気からも解放されたけど、吃音の調子は今どんな感じ?」心の中で父に問いかけていた。
父と娘で語り合うことのなかった「吃音」。3人の子ども達の中で、私だけが父と同じ吃音者であったことを父はどう感じていたのだろうか。ちょっぴり本音を聞いてみたいと思った。もう叶わないことだけど。
父の葬儀、告別式は大勢の人に参列していただいて、それはにぎやかなものだった。遺影の父は、いつもの笑顔でにこにこと笑っていた。告別式の時、「3人のお子様達は、お父さんに怒られたことがなかったといいます」というエピソードが紹介された。子煩悩で優しい父だった。参列者の中には、「本当に怒られたことがなかったの?」とびりくりしていた人もいた。もちろん本当のことである。
幼い頃、私は父と過ごすことが多かった。母が仕事で家を空けていたし、交代制勤務だった父は、時間こそ不規則だったが、昼間家にいることが多かったからだ。勤務明けで、疲れていたこともあっただろうが、とにかくよく遊んでくれた。しかし、後になって、私が吃音のことに対して、悩み、嫌悪感を抱くようになると、私がどもるようになったのは、この父と過ごした時間が多かったから、吃音が私にうつってしまったのではないか、と考えたこともあった。キラキラとした楽しくて、素敵な思い出ばかりだったのに。
最後のお別れの後、ついに父の姿形はなくなってしまった。今までに味わったことのない喪失感である。もう二度と会うことはできない。悲しくて、悲しくて、父のことを思い出さないようにしていても、寂しさは募る一方だった。そんな私の脳裏に、ワークショップのときに聞いた伊藤さんのあの言葉が再びよみがえってきた。「吃音は自分の中に残されたプレゼント」。そうか、その通りなのかもしれない。人一倍寂しがり屋で、心の弱い私。父を亡くしても悲しみにくれることのないよう、神様が父と私に、吃音というものを分け与えてくれたのではないだろうか。
昔から私は父に良く似ていると言われてきた。そっくりな顔、のんびりとした性格、そして話し方。多感な時期には、そのことが恥ずかしいと思ったこともあった。でも今は違う。私の中に父は確かに生きている。そう実感できることが、心から嬉しい。父の入院によって背中を押され、参加したワークショップ。大勢の吃音者の仲間達との出会い、吃音や父に対する思いを大きく変える出来事にめぐり合えたことは、娘を思う父の想いが、私を貴重な体験へと導いてくれたのだろうか。
どもりで困ったこともたくさんあった。泣いたこと、悩んだことも数えきれない。もちろん今だって、不便な思いをすることもある。でも、今、「吃音」に感謝している。どもりだったからこそ、いろいろな経験をした。嫌なことの方がはるかに多かったが、そこで考えたこと、感じたことは、私が生きていく上での大きなパワーとなっている。もし吃音でなかったら、人生の中で大切な「何か」に気づくことが出来なかったかもしれない。父への「思い」も少しずつわかりかけてきた、その「何か」の一つだと思う。日々の生活の中、様々なことを感じ、父を思うことができるのは、吃音のおかげである。父からプレゼントされた私の中にある吃音と共に、これからは自分らしく、しっかりと前を向いて歩んでいきたい。
「お父さん、私、もう大丈夫だよ。どもりで本当に良かったと思っているから。私の中で、ずっと、ずっと一緒にいようね」
遺影の父がうなずいてくれたような気がした。
◇◆◇選考委員コメント◇◆◇
父への思いが大変すなおに綴られている。父の入院、死を経験する中で、自分のどもりと向き合い、どもる人たちのワークショップに参加して自分の視野を広げていった。そして、そこで出会ったことばをかみしめながら前へ向かって歩こうとしている。行動することで、その区切りがついたということになる。人やことばと出会うことの意味の大きさを思う。一人で考えていたのでは堂々巡りになってしまいそうなことも、人との関わりの中で、新しい視点が見えてくる。自分の中で、深く吃音と向き合った作者は、今後、社会に向けて広がっていくだろう予感めいたものを感じさせる。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/19