第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 3

 昨日の続きです。保護者との話し合いの時間が2日間で6時間もあったとはいえ、本当にたくさんのことを話していることにびっくりします。島根スタタリングフォーラムに参加し、そこで、同じようにどもる子どもや保護者に出会い、お互いに話したり聞いたりして、学んだことの積み重ねが感じられます。今日で最後です。

第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 3

◆今年で4年目です。4年前には吃音は母親のせいだ、と夫にも言われてきました。子どもがどもる姿は、私にとって不都合なことで、私の存在を否定された気がしました。4年前、吃音は母親のせいじゃない、他にもどもる人はいる、人によってそれぞれ違う、などを聞き、娘と共通のテーマができて以来、吃音のこと以外にも親子でよく話すようになりました。子どもは子どもなりに自分のことばで伝えようとするようになりました。父親も吃音だったことを知った子どもは、「私の子どももどもるかもね」と言っています。「そのときは、みんなでフォーラムに行こうね」と言っています。長いスパンで見ることができるようになりました。困ったら、行って、話すことができる場がある、情報をもっているということは心強いです。

伊藤 長い人生のスパンでみると、どもりのおかげで、充実した人生を送ることができたという人はたくさんいます。自分の自由にならない、苦手なものがあると、人は謙虚に誠実に生きていけるような気がします。私は講演や講義では、あまりどもらなくなったのですが、5年前くらいにまたどもるようになりました。正直、どもるようになってよかったと思います。初心に返れました。不都合なこと、苦手なこと、苦戦することがある方が、工夫が生まれていいと思うんです。

◆空手の昇段試験のとき、子どもは「オイ」が出てこないときがありました。空手の先生から、「両親が厳しいから、そうなったんではないですか?」と言われたけれど、すぐ「いいや、違います。あの子はしつけとは関係なくどもるのです」と言い切れた。フォーラムに参加して吃音について勉強した後だったので、言えたと思います。
◆どもるのは、母親のせいだと言われ、姑からは「私は息子(夫)が小さいとき、吃音を治した」と言われました。フォーラムに参加してから、親のせいではないと伝えることができました。母親が怒るからではないかとも言われたけれど、この会に出てからは、そう言われても、大丈夫。平気で言い返したり、説明できるようになりました。
◆吃音に大きな波があります。だから、母親からのストレスかと感じることもあるのですが、そうではないですよね。そうしないと、叱るときも叱れなくなってしまいます。トラブルも、経験して子どもは育つものだと思うのです。

◆子どもに「悩み、ある?」と聞くと、「春先4、5月はごそごそとどもりが出て活発になる。秋にはおさまり、冬眠して、また春に・・」なんておもしろいことを言います。剣道をしていますが、「オリャー」「メン」を言うとき、間があくので、苦労していることはしているようですが。
◆6年生です。高学年になると学校の中でいろいろすることが増えてきます。スターターをしたことが自信になったようです。修学旅行で、ガイドさんのクイズがあって、それに「夢はモデル」と書いて、みんなが「へえー」と言い、友達に受け止めてもらえるのがうれしかったようです。
◆うちの子の将来の夢は、先生です。それは、この会に来て、たくさん話を聞いてもらえたからだそうです。

伊藤 職業については早めに考えるとよいと思います。吃音親子サマーキャンプに小学校4年生で参加した子が、どもってもいいと受け止めたが、中学校、高校と、いろいろ悩みました。揺れ動いたのです。今、大学生になって、声優になる夢をもっています。一度はあきらめた夢をやはり捨てきれず、彼はその夢に向かって今、生きています。

◆子どもは、テレビに出たいという夢をもっています。でも、どもるので、壁にぶち当たりそうだけど、その夢につきあいたいと思っています。1年前と比べて、「あのことば、よくつまるね」と言えるようになりました。下の子が姉をからかうことも出てきました。なので、「姉がタタタ…ということについて話す会に行くんだよ」と言って、つれてきました。
◆6歳の子どもがどもりますが、今は少しおさまっているので、今は気づかせなくてもいいと思い、今回は連れてきませんでした。保護者の皆さんの前向きさにびっくりしました。今度は子どもを連れてきたいと思います。
◆このような機会があってよかったと思います。自分も経験しなかったことを体験できている子どもを思うと、本当に幸せです。妹が兄の真似をして兄のプライドを傷つけられているようです。夜尿が直らず、小児科ではストレスが原因ではないかと言われています。妹が真似をすることで辛くなっていると思います。叱った方がいいですか。

伊藤 あまりきつく叱らない方がいいと思います。「そんなにお兄ちゃんの真似をしていたら、お兄ちゃんと同じような話し方になるから、仲間になれるね」くらいで軽く受け流した方がいい。映画監督の羽仁進さんも妹から真似されたり、からかわれ、嫌だったようですが、「身内の中で、家庭の中でからかわれて却ってよかった」ともおっしゃっています。兄弟関係は大事です。家庭の中で、タブー視されず、オープンに話題にされているということの方が大きな意味があると思いますよ。

◆家では全然しないことも、このフォーラムではしているようです。やっぱり同じような仲間がいるということがいいんでしょうね。
◆自分で自分の言いやすいことばに変えることができるようになってきましたが、できないこともあります。少しずつ向き合ってきていると思っています。3年生の弟は、冬にはよくどもるから、冬は嫌いだけどサンタがくるのでいいと言います。冬を意識しているんだなあと思いました。

伊藤 今までの話し合いで、疑問に思われたこと、もっと話し合いたいことはありませんか。

◆中学校1年生の娘のことです。大変ひどくどもりながら小学校を過ごしました。そして、今年の4月、小学校5校が一緒になる中学校に進学しました。今のところ、どもりはバレずに過ごしているようです。自分の口から、先生にどもりのことを伝えることはできないでいるのですが。

伊藤 今、隠していて、バレずにいていいと思っていたのに、昨日の子ども同士の話し合いの中で、高校生から、「隠していたらだめだよ」と言われショックだったようですね。今までの自分を否定されたように思え、混乱して、今朝はもう帰りたいと言っていたけれど、さきほどグループの中に入って行きましたよ。子どものその混乱はすてきなことです。意味のあることだと思います。母親としては、中学生にもなった子どもには何もできないと思って下さい。自分で考えますよ。

◆変ななぐさめでなく、見守るだけですね。吃音を隠すのをやめようと本人が思うのは、何年後になるか分からないけれど、待ちたいと思います。

伊藤 30年以上も前、岩手県の釜石市での全国巡回吃音相談会に無理矢理連れてこられた高校生が「親に何をして欲しいか?」と尋ねたら、「僕のことは放っておいてほしい」と言いました。 向き合うと、よく言いますが、直接どもりのことを言うかどうかということではないと思います。子どもが吃音にっいて話題にしたときに、語り合う準備が親にあるかどうかです。ここに参加するだけで意味がある。正答やマニュアルはないので、感じたとおり、自分のことばで語って下さい。

◆昨夜中学生がとてもどもりながら手話落語をしましたね。娘は、落語自体を楽しんで笑っていました。私は、その子があんまりどもるので、つい笑うのを止めてしまいました。その後、娘は、私の顔色を見て、笑うようになりました。止めた自分にも、笑う自分にも腹立たしさを感じました。

伊藤 笑いには、さげすみやからかいの笑いではなく、共感や励まし、思わずにっこりとしてしまう笑いがあります。笑いは大切にしていきたいと思っています。子どもが自然に笑うのは、OKでしょう。笑いたければ笑うがいい、ただ相手が傷ついたと感じたら、そのとき本人に伝えたらいいのではないでしょうか。自分の弱点、欠点を笑い飛ばすユーモアの効用についても考えたいですね。

◆私自身は、吃音ではありません。だから、どもる人やどもる子どもの気持ちが本当には分かりません。だから、つい言いたいことも言えなくなります。

伊藤 どもる人はどもる人の気持ちが分かるかと言えば、そうではありません。どもる状態、家庭環境など、ひとりひとり違います。どもる人もひとりひとり違うので、お互いに全て分かり合うことはできないでしょう。想像力を働かせ、つきあい、分かろうとすることが大切だと思うのです。吃音の経験がないということでお母さんがひるむことはありません。分かろうとする想像力だと思います。

◆子どもは、家で見ている限り、どもりのことを気にしている様子はなかったけれど、4年生の話し合いの中で、自分のどもりについて話していたと聞きました。「どもりのことを考えると、ゴミ箱がいっぱいになりそう」という表現をしていたらしいのです。子どもなりにどもりのことを考えているのだということが分かり、うれしい。
◆小学校1年生までに吃音が消えなければ、治らないと言われ、小学校1年生になっても治らなかったので、お互い気が楽になりました。出にくいときも、出やすいときも、そのことを親子で語れるようになりました。悩みがあっても、子どもの力を信じて待てばいいことが分かってきたように思います。「スムーズに言えや」とか「どもるなや」と人に言われても、先生が「まあいいがや。どもってもいいよ」とフォローしてくれました。母親の私には悩みを何も言いませんが、悩みを持ちかけてきたときのために予備知識を得ようと、参加しました。子どもが来たいと言えば一緒に来ます。
◆人に尽くすことで、うれしさを感じてほしい。やさしい手をさしのべる子になって欲しい。

伊藤 やさしさは、一朝一夕に身につくものではありません。弱さは強さという文章を書いた教育相談の臨床心理士の私の友人は、自分のことを弱い人間だといいます。しかし、その弱さが、引きこもりの生徒に出会うとき、役立っているというのです。言語聴覚士の専門学校に講義に行っていますが、多くの学生が、こんなに弱い自分で、悩んでいる患者を支えられるか不安をもちます。そういう人たちに私はいつもこう言います。自分の弱さを自覚していることが大切だと。自信満々の人に、人は助けを求めようとはしません。自分の弱さを自覚しながらも、誠実に向き合ってくれる人を、人は求めているのです。弱さは向き合えば、恥ずかしいことではない。
 親として子どもとどう向き合うか整理します。
①親子も人間としては対等という意識、伴走することです。大したことは出来ないが、人間として精一杯関われば何かが変わると信じることです。
②私の苦しみは、未来が見えない、不安、恐怖の予期です。どもりながらいろんな職業に就いている現実を知り、伝えること。

◆私は、この会に朝から参加させたかったのですが、夫は行かなくてもいいとスポーツ少年の集まりを優先させました。夫に何度話しても理解してくれません。夫と自分の考え方の違いで、子どもは、率直に自分の気持ちを言えなくなっていると思います。手話落語のとき、クスクス笑う子に対して、息子はいらだっていたようでした。笑える子と笑えない子の違いはどこにあるのでしょう。我が子は、きっと笑える子はいいなと思っていたのだと思います。
◆私はどもるため、不安、恐怖の連続で、自分が受け入れらなかった。今回、「受け入れておられますね」と言われたのですが、ここでは隠さなくていいのでいろいろしゃべりましたが、吃音をまだ受け入ていないと思います。私にとって、結婚は逃げ場で、必要最低限のことだけしゃべればよかったのです。息子ははずっと働くと言っています。どもりを一生背負い続けるが、越えられる試練だから、与えられたと思うので、親として、寄り添っていってあげたいと思っています。
◆子どもは優しすぎる、もっと強さがほしいと言われ、優しさをマイナスと受け止めていました。優しいのがいいと言われて、これでいいと思いました。子どもが心配事を話してくれたとき、私は的確に答えたいと思っていましたが、一緒に悩み、伴走していく気で接していきたいと思います。(「スタタリング・ナウ」2006.1.21 NO.137)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/04

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