第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い
「スタタリング・ナウ」2006.1.21 NO.137 で特集している第7回島根スタタリングフォーラムでの、親の話し合いの記録を、今、読み返してみて、吃音を切り口に、なんとも幅広く、そして深く、考えて、その考えをことばにしてやりとりをしていたものだ、濃い時間を過ごしていたものだと思いました。僕は、大勢の前で一方的に話すより、顔が見える範囲で、やりとりをしながら話すのが好きです。発言に触発されて、僕の頭が活性化されるからです。
では、第7回島根スタタリングフォーラムの様子をご紹介します。
第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い
1999年に始まった島根スタタリングフォーラム。回を重ねるにつれ、プログラムに子どもの話し合いが加わるなど変わったが、1日目3時間、2日目3時間の合計6時間のどもる子どもの親の話し合い・学習会はずっと私が担当してきました。その記録担当者からノートを見せてもらって驚きました。それぞれの発言がかなり詳しく記録されていたのです。今年は体験学習や私のまとまった講演をせず、親の発言の合間合間に、私の話を入れるという形をとりました。この場で初めて自分が吃音だと話された人、親子で吃音だという人が何人かおられました。親の子どもへの思いや変化、親子での変化などが率直に話されました。
テープ起こしではなく、メモとして記されたものの紹介なので、感情の発露や詳しい話は再現できません。つながりが悪かったり、その場でないと分かりにくいなど限界はあります。しかし、親のたくさんの声は記録されていました。
◆は親の発言です。
伊藤 今日と明日で6時間。時間はたっぷりあります。話したいこと、話し合いたいこと、ご自分の体験でも質問でも、どんなことでも結構です。「ふと」思いついたり、考えたことを話して下さい。また、質問はいつでも、割り込んでいいです。質問や皆さんの話の流れに沿って私も話を致します。
◆私自身が小学校3年生からどもり、小学生のとき、ことばの教室に行きました。メトロノームに合わせて本を読む練習をし、録音されて聞かされるのが嫌でした。自分のどもる声を聞くのも嫌だったし、その度にどもりを意識させられました。
高校卒業後、両親の反対を押し切って私は都会に出ました。社会では本読みからは解放されると思ったのが、その会社では、毎日文章をみんなの前で読まされました。社会に出たら、どもりで他人から傷つけられないだろうと思っていたのが、どもって読むと、「よくそんなんで生きてるね」と言われました。読む当番の日に出社できなくなり、苦しくなって故郷に帰りました。
結婚して、子どもが産まれ、息子がどもるようになりました。私と同じような苦しみをこの子も、と思うと、かわいそうで、息子がどもるのを聞きたくないと思いました。しかし、だんだんと子どもの苦しみを分かってあげられるのは自分しかいないと思うようになりました。息子は小学校3年生で、友達から「おばちゃんの話し方、○○君と同じだね」と指摘されますが、そうだよと言えるようになりました。子どもには、どもることをマイナスに受け止めてほしくないと願っています。
伊藤 ことばの教室の先生が治そうとすればするほど、「先生がこんなに一所懸命治そうとしてくれる、どもりはそんなに悪いものなんだ」と子どもが吃音をマイナスに受け止めかねませんね。私は、吃音をマイナスに意識したのでどもりを隠し、話すことから逃げました。マイナスに意識すると、隠す・逃げるが始まります。一番大切なことは、子どもがどもることを強くマイナスに意識しないことです。
どんなことをしたら、子どもが「どもりをマイナス」に意識するようになると思いますか?
◆どもりをなんとしてでも治そうとする。
◆人に接しないよう、話させないようにする。
◆子どもに言い直しをさせる。
◆マイナスになるから、がんばって治そうと言う。
◆親がどもりを強くマイナスに考える。
◆そのうちに治るよと言う。
◆知らんぷりをする。聞こえていても、気がつかないふりをする。
◆母が「この子はどもるので、極力本読みをさせて下さい」と担任に伝えた。そのことで私は、他の子と違うと思った。
伊藤 子どもがどもっても、周りが打ち合わせて決して話題にしないのが「沈黙の申し合わせ」ですが、これがいけない。話の内容よりも、表情や声の調子で伝わるものです。「吃音を意識させない」ことが何よりも大切だとの指導が、大きな間違いです。意識がいけないのではなく、「マイナスに意識」がいけないのです。幼稚園の子どもも、言いにくいことは意識していることが多いですよ。
私は、小学校2年生の学芸会でせりふのある役を外され、強い劣等感をもちました。担任の配慮だろうが、子どもに指摘されるより、大人からのマイナスのメッセージは大きな影響を与えました。教師、親として、どうしてあげたらよかっただろう。
◆他の子どもといっしょにした方がいい。
◆「どうして欲しい?」と子どもに聞いてほしい。
◆私は親には言わなかったが、私自身は気にしていた。日記に「手を挙げたくても挙げられない」と書いたことを覚えている。私の4歳の子どもがどもり始めたとき、私がどもりだからだと自分を責めた。どもっても手を挙げる子になってほしい。
伊藤 僕は、高校の本読みが怖くて学校に行けなかった。朗読の免除を国語の教師に頼んだ。次の日、3人が職員室に呼ばれたが、他の2人が吃音だとは知らなかった。普段はどもっていなかったからだ。2人は、朗読の免除に関して免除しなくていいと言った。一人一人違う。どうして欲しいか、本人に聞くのが一番いい。自分で選択したことは、納得できる。教師と生徒、親と子も人間としては対等で、本人に決定権を与えることが大切。
◆私は吃音があるから、他の面ではよく思われたいと、こつこつ努力した。子どもの頃は、周りの友達にも恵まれた。現在は、結婚して住む地域が違い、コミュニケーションがとりづらく、子どものことを話したいと思っているが、なかなかできない。自分自身がもう少し、積極的になりたい。
◆声が出ない時、パンと体を叩くとよいと先生に言われた。子どもの叩き方がひどくなり、叩いても出なくなった。何かすることはありませんか。
伊藤 子どもに「パンと体を叩くとよい」などと教えるのはよくないことです。教師に教えられなくても、子どもは自分で声を出す方法を編み出していくものです。女優の木の実ナナさんは、「シャボン玉ホリデー」番組で、「あ」の音が出なくて、自分の足をつねって、「あーじのもと」と言ったそうです。教えられて、身につくものではなく、自分で見い出すものですね。
どもる子どもの表現力で大事にしたいのはリズムです。僕は、講談や詩吟を練習した経験がありますが、蚊の泣くような小さな声が大きくなるなどいい影響を与えたと思う。どの早さが話しやすいか、話せるか、自分のスピードやリズムをつかむことができればいいですね。歌でも、楽器でも、表現活動はいいですね。
◆昔は子どもに意識させたくないと思っていたので、我が子がこのフォーラムで、どもりについて仲間と話しているのは、以前には考えられないことです。私自身は、どもりたくないために、伝えたい思いが違う表現になってしまった。子どもには、自分を否定しないで、自信をもって生きていってほしい。夫は、「どもりはそのうち治る」と言うが、子ども本人は、一生うまくつきあっていかなければならないことを知っているように思う。
伊藤 「そのうちに治る」と安心させ、悩みの種を親はできるだけ早く摘み取りたいと願う。これはほんとにいいことなんだろうか。私は、苦しんだり、悩んだりしてたことに意味があったと今では思う。苦しみ、悩んだから、自分なりに工夫もしたし、考えもした。それは、私自身が成長していく糧だったのではないだろうか。子どものそんな成長の糧を下手に摘み取っていいのだろうか。まして、「そのうち治る」なんて根拠なく言うのはやめて欲しい。
◆私は吃音で悩まなくても、他のことで悩むことはいっぱいある。吃音には大きなスパンがあるので見守りたいと思います。
伊藤 人は悩み苦しむものだと考えた方がいい。悩みの大きなもののひとつは、親と子どもの葛藤です。親の期待に応え、指示通りに生きてきた大学生が、初めてひとりで長時間通学するとき、電車の中で何をしようかと悩んでいました。大きくなった子に対して、親が何かするのをあきらめて、子どもは自分の人生を歩むのだと思えたとき、親も子どもも楽になる。親は基本的には子どもにできることはあまりないと、早くあきらめることです。子どもは苦しむときは苦しんでもいいと思えることです。
◆この会に来るまでの私の苦しみは、私がどもりについて何も知らなかったことです。無知だったことです。子どもが3歳でどもり出した時、私は無知だったので、なんとも思いませんでした。姑さんたちが気づき、私に教えてくれました。それで、私は悩むようになりました。子どもがどう苦しむのか分からなくて、治してあげたいと思いました。でも、この会に来て、いろんな知識を得て気持ちがとても楽になりました。
◆吃音の本を読んだり、講演を聴きにいったり、先輩の話を聞いたりして、勉強しました。欠点はマイナスだと思っていましたが、欠点を個性だと思えるようになりました。欠点に対するとらえ方が変わってきたのです。吃音も個性だと、マイナスではないと思えるようになりました。周りの子も、どもりについて言ったり、言わなかったり、です。本人も今、自分のどもりのことを自覚しかけているように思います。吃音のことばかり考えず、関わっていくようにしたいと思っています。
伊藤 「吃音をマイナスに考えることはやめよう」と決めることが大事です。私が変わったのは21歳のとき、「逃げたり隠したりするのはやめよう」と決めてからです。決めても、絶対隠したり逃げたりしないと思い詰めると、そうできない自分を責めることになります。逃げたり隠したりもありです。基本的には逃げないでおこうと決めると、ぼちぼち変わってきます。ぼちぼちでいいのです。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/02