3冊の本をお供に
今日は、「スタタリング・ナウ」2005.5.21 NO.129 の巻頭言を紹介します。この巻頭言の書き出しに驚きました。今年、2024年1月、僕は、岩手県盛岡市で講演をしました。そのとき、講演依頼の連絡をくださった人は、おそらく、この巻頭言に書いている、2005年の岩手県難聴・言語障害教育研究会の研修会で、僕の話を聞いてくださったのでしょう。今年は2024年、巻頭言で書いている研修会が2005年、そして巻頭言によると、それから30年前の講演会は1975年。およそ50年の間に3度、岩手県盛岡市を訪れているということになり、歴史を感じます。
3冊の本をお供に
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「30年前に盛岡に来られたとき、お話を聞きました。その時の伊藤さんは眼光鋭く、気迫がありすぎて、近づきがたい印象をもちましたが、今回、講演の時、懇親会のあいさつと、遠くから、近くから拝見して、全く雰囲気が変わっておられてびっくりしました。穏やかで、とても優しい顔になられましたね」
岩手県難聴・言語障害教育研究会の研修会で講演をした後の懇親会の席でひとりの女性が話しかけて下さった。30年前の私の講演を聞いた人がまだ言語障害児教育に携わっていることに驚いたが、私の印象をそこまで覚えていて下さり、的確に表現して下さったことにびっくりするやら、気恥ずかしいやらだったが、とてもうれしかった。
当時、31歳になったばかりの私は、「吃音を治し、改善する」という誰もが信じて疑わなかった吃音への取り組みに、「吃音を治す努力を否定しよう」とまで言い切り、「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかにつきる」という主張をもって全国巡回吃音相談会を開いていた時だった。確かに気負っていた。激しさもあったことだろう。
その翌日、30年ぶりに、岩手県盛岡市の桜城小学校を訪れていた。木造校舎は新しい校舎になり、建物のイメージは違っても、あれから30年も経つのかと感慨深いものがこみあげてきた。桜城小学校で行われた、どもる子どもの親と、ことばの教室の教師を対象にした相談会はしっとりとしたものだった。
21歳までの「吃音を治さなければ人生はない」と思い詰め、吃音に深く悩み、治すことしか考えなかった生活から、セルフヘルプグループを設立し、必死で活動した経験を経て、大阪教育大学聴覚・言語障害児教育教室の教員となった。そして、自分自身の体験、多くのどもる人との出会いの中から、「吃音を治すことにこだわると、さらに悩みを深め、自分の人生を生きることができなくなる」と確信するようになった。この考えは、果たして吃音に悩む人に受け入れられ、吃音に悩む人の役に立つのだろうか。その検証なしには、私は次のステップに進むことができなかった。
日本全国各地をまわって吃音相談会を開き、私の考えを話し、批判や意見をぶつけてもらい、とことん話し合いたいと考えた。新聞社やNHKによるお知らせの報道協力の支援だけはとりつけた。また、内須川洸・大阪教育大学教授が、全国のことばの教室への推薦文を書いて下さった。しかし、実際に、どのような協力が得られるか分からない。予定もほとんど決まらないままに、とりあえず、会場の設定を引き受けて下さった北海道帯広市に飛び立ったのだった。今では考えられないほどの無謀な全国行脚の旅立ちだった。
旅を続けていく中で、私の主張が確かな形で伝わっていくのが感じられた。時間制限のない真剣勝負の話し合いの場で、私自身が育てられていくのも感じた。帯広から長崎まで、35都道府県、38会場での相談会は3ヶ月かかった。
30年前に盛岡を訪れたときと今と、決定的に違うことがある。30年前は、私が企画して「聞いて欲しい」との押しかけの相談会・講演会だった。素手でひとりで大きな壁に立ち向かうという孤独な厳しい闘いでもあった。今回は、「聞きたい」という依頼を受けての講演であり、聞いて下さる人の中には、日本吃音臨床研究会の仲間がいて、新しく発行した3冊の本のお供がいる。
『どもりと向きあう一問一答』(解放出版社)、『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)、『やわらかに生きる―論理療法と吃音に学ぶ』(金子書房)だ。
多すぎると思いながらも送った100冊ほどの3冊の本は、余るどころか買えない人もいて、完売した。話を聞いて下さるのはありがたいことだが、3冊の本を手元にもっていて読んで下さることはとてもありがたい。
その前の週末には熊本県言語聴覚士会総会の記念講演と、北九州市での吃音相談会があった。
30年前の全国巡回の旅にはなかった3冊の本という強い味方をお供に、私はまた、新たな旅に旅立つ。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/27