伝えたかったこと
最近の政治家のことばの軽さに辟易していますが、今回、紹介する「スタタリング・ナウ」2003.10.18 NO.110 の巻頭言を読み返してみて、よりその思いを強くしました。
第14回吃音親子サマーキャンプで、初めて卒業式をしたときのことを書いています。高校3年生で、3回以上参加しているという条件を満たした子どもに卒業式をするということが、今、定着していますが、そのスタートだった年でした。
僕は、卒業する子どもたちの見事なあいさつにいつも驚かされます。サマーキャンプには、この文化、この伝統が受け継がれています。
2024年度がもうすぐ始まりますが、今年の吃音親子サマーキャンプは、33回目となり、8月16・17・18日、滋賀県彦根市の荒神山自然の家で開催します。詳細は、6月頃に、月刊紙「スタタリング・ナウ」や、ホームページでお知らせします。
伝えたかったこと
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
私の小学2年生からの学校生活には、何の楽しい思いも、感動もない。入学式は、不安と恐れの最たるものであったし、卒業式は過去の自分への決別であると同時に新たな苦痛の始まりでもあった。
第14回吃音親子サマーキャンプ。小学4年生のときから9年間連続して参加した長尾政毅君と3年前から参加している安野善詞君が高校3年生になった。このキャンプは、小学生、中学生、高校生を対象としているため、参加者としては最後の年となった。これまでも高校3年生がキャンプを経て飛び立っていったが、卒業式は一度もしたことがない。しかし、小学4年生のときから参加している長尾君の成長を、私たちスタッフは、我が子のように、見守ってきた。
前から計画してきたわけではなかった。キャンプが始まって2日目に、ふと、これはやはり卒業式をやらなきゃあなあ、という思いがふくらんだ。卒業証書も最終日の朝、ありあわせの画用紙に書いて作った。
そして、これも急に小学6年生から連続して4回、千葉県から参加している中学3年生の谷口陽菜さんに送辞を言ってみないかと提案してみた。彼女が実際の中学校の生活の中で、この3月の卒業式で送辞を読んだビデオを見せてもらったからだ。送辞の内容もさることながら、送辞を読む彼女の、どもるということを見事に生かしている、そのしゃべり方に感動した。どもるがゆえに身につけたのであろうか、絶妙な話すスピード。速くはなく、かといって不自然なゆっくりさではない。そのスピードと、どもるがゆえに自分で工夫した間の見事なハーモニーが、耳に心地よく響いてくる。そのビデオを見ていたから、ふと長尾君たちの卒業式をしようと思いたったのかもしれない。
卒業式を入れるため、これまで毎年続いてきた最後のセレモニーのあり方を変えた。話し合いのグループでこのキャンプを振り返り、そして最後のお別れをするというパターンをやめて、話したい人が自ら申し出て大勢の前で話すというオープンマイクというスタイルをとった。25人もの人たちが、思い思いの自分の思いを語った。その中で、この子が人前で自ら進んで話すかと思う子どもや、すごくどもりながら最後まで話しきる子ども、父親、母親の子どもへの思いや、なぜ自分が参加するのかという思いをスタッフが語った。卒業式の十分な雰囲気がもうすでにできあがっていた。
卒業生の2人をみんなに紹介し、卒業証書を手渡し、しっかりと握手した。そして感想を述べてもらった。安野君が一言一言どもりながら自分の思いを語ろうとする。終わったかと思うとまた話し出す。内容が感動的だったわけではないが、どもりどもり、一言一言かみしめるように、サマーキャンプに出会ってよかったと、時間をかけて語る中に、彼の学校生活の中での苦しみ、その中から誠実に生きようとする決意が感じられ、私も思わず涙があふれた。長尾君も、ことばにならないほど泣きじゃくりながら話す姿に、これまでの、一直線ではなかった、学童期、思春期の大きな揺れの中で、しっかりと歩んできた道のりを思った。
送辞の谷口さんが話し始めた。「私はこの先輩の2人から、考える力と、自分を表現する力を教えてもらった」。今度は彼女の話す内容に驚いて、胸がつまった。私たちが吃音親子サマーキャンプを続け、子どもたちに、保護者に伝えたかった「吃音はどう治すかではなくてどう生きるかだ」の主張。どう生きるかには、考える力が不可欠だ。そして、自分らしく生きるためにはまず、自分のことばで自分の吃音についての苦しみや思いを語ることだ。そのことなしには、吃音と共に生きる出発点に立てないと思ってきた。だから、考える力と伝える力は、私たちがサマーキャンプで最も大切にしてきたことだ。それを、中学3年生の谷口さんが、先輩の高校生から学んだという。
私たちは、14年間吃音親子サマーキャンプを小学生、中学生、高校生という年代を含めて開いて来たことの意義、そして継続してきたことの意義と喜びを感じていた。私はこの年になって初めて、本当の感動的な卒業式を経験できたのだった。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/15