何とか治したいと思い続けた日々

 孤独で苦しんだ僕を支えていたのは、「どもりのままで死んでたまるか」という思いだったということを、巻頭言で紹介しました。僕と同じように、どもっていてはお先真っ暗だ、何としてでもどもりを治さなくてはならない、どもりさえ治れば、俺の人生は切り開かれると思い込み、治療に取り組んだひとりの青年の手記を紹介します。彼が、最終的に選んだのは、治らないものを治そうと努力するのではなく、それとうまくつきあい生きている仲間との出会いであり、その生き方でした。回り道をして、僕たちと再び出会った彼は、今、僕たちの大切な仲間のひとりです。

何とか治したいと思い続けた日々
                 大阪スタタリングプロジェクト 堤野瑛一(24歳)

 僕は、高校2年の頃、言葉を発しようとすると息が詰まり、足で地面を叩かないと声が出なくなりました。初めはこれが吃音だと分からず、「何だろう?」と思っていました。チック症で通っていた神経科の病院の先生の前でどもると、「あー、どもりの症状も出ているのかあ」と言われ、初めて自分の声の出ない症状が吃音である事を知りました。
 初めは家族の前でしか出なかった吃音の症状も、次第に学校や友だちの前でも出るようなり、悩み始めました。どもると喋るのを止めたり、言い換えをして、どもりを隠し続けていたので、誰もこの悩みは知りませんでした。授業中に当てられて、分かっている答えも「分かりません」と答えました。
 この頃、ピアノで芸術大学を受験することを決心し、趣味感覚でしていたピアノを、受験に向けて真剣に勉強するようになりました。ピアノを練習している間は、吃音の事よりも芸大に合格する事で頭がいっぱいでした。芸大に行けば、どれだけ幸せだろうと、無我夢中で一日に何時間も、ピアノを練習していました。合格発表の時の喜び、感動はこの上ないもので、今でも忘れません。夢や希望を大きく膨らませながら、大学に入学する日を毎日ウキウキしながら待っていました。
 しかし大学は、僕の思っていたような楽しい場所ではなく、辛く厳しい場所でした。大学入学後、どの授業に出ても、まず自己紹介をさせられます。必死に言おうとしますが、10秒、20秒たっても言葉が出て来ません。僕のどもって力んでいる顔をチラチラ見ては、周りがクスクスと笑い出します。
 どの授業でも、いつ当てられるかと、ビクビクしていました。声楽の試験の時は、大勢の生徒や審査員の先生がいる前で、自分の生徒番号と名前、歌う曲目を言わなければなりません。ピアノや声楽の試験の結果を、自分の門下の先生に電話報告しなければなりません。大学は、担任がいないので、必要な書類などは自分で事務室に言って自分の口で説明し、貰わなくてはなりません。何かと吃音では不便な事だらけでした。高校生の時のように、何とか吃音を隠してごまかしながら、逃げるというふうにはいきませんでした。
 吃音に対する恐怖は、高校の頃の何倍にも膨れ上がり、どもりを隠したままではまともに友だちと会話も出来ないほど、症状は酷いものになりました。それに伴い、勉強やピアノの練習を続けていく気力も、だんだんと薄れ、もうやっていけないと、あれだけ努力し、夢に見て、自分の力で入った大学を、自分の意志で中退しました。「中退せざるを得なくなった」のです。あの受験のための努力や、合格発表の時の喜びは一体何だったのだろうと、途方に暮れました。
 この時、「どもっていてはお先真っ暗だ」。「吃音が俺の人生を狂わせた」。「何としてでもどもりを治さなくてはならない」。「どもりさえ治れば、俺の人生は切り開かれる」。そんな事ばかりを強く思っていました。それから数年間、「どもりが治る」と聞けば、どこへでも行きました。吃音矯正所だけでなく、針灸、催眠療法、気功、整体と、いろんな事を試しました。
 しかし結果、どれも全く効果がありません。行く先々に、初めはどうしても「治る」という大きな期待をもってしまうので、治らなかった時のショックも、大きなものでした。そして徐々に、「どもりは治らないものだ」という意識も強くなっていき、治すことを諦めざるを得ない状況になって来ました。
 僕が最後に行こうと決心したのが、「大阪吃音教室」です。実は、言語治療を受けていた総合病院のスピーチセラピストにつき添われて、大学在学中に一度だけ吃音教室に参加した事がありました。その時僕は、驚きました。みんなが、わきあいあいとどもって喋り、「どもりと仲良くつき合おう」と言うのです。しかし、「どもりと仲良く」なんて、絶対に受け入れられません。「どもりが治らなければ絶対に良い人生は送れない、絶対に治さなければ」と、一度行っただけで、通わなくなりました。
 しかし、大学も中退し、何年間も吃音の治療に明け暮れても、全く治らない現実と向き合うと、「自分はどもりとして生きていくしかないのか」とようやく思い始める事が出来た時ふと、「あそこには吃音を受け入れて生きていこうとする仲間がたくさんいる」と、大阪吃音教室の事が頭をよぎり、大阪吃音教室に通う事を決心しました。
 毎週欠かさず通っています。吃音は治るに越した事はありませんが、今は、吃音を治そうとは思いません。どうあがいたって治らない事を知っていますし、絶対に治らないものを治そうと努力すれば、決して幸せにはなれない事を、よく知っているからです。大阪吃音教室のみんなと、どもりながらでも上手に生き、吃音とうまくつき合えるようになればな、と思っています。(2002年 吃音ショートコース 発表の広場で発表)
(「スタタリング・ナウ」2003.8.21 NO.108)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/06

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